『おとボク』問題。
http://yamanakowa.net/archives/001192.html
http://www5b.biglobe.ne.jp/~nnaro/brainstorm200606.html#20060614
 こういう馬鹿馬鹿しい話題を目にするたびに健全な声優批評の必要性をしみじみと感じる事であるなあ。
 メディアミックス・リメイクに関する声優変更については、俺は積極的に推進していきたい派です。
 推進する、という事もないのだけれど、作品を再構成するに際してその再構成される範疇が声に及んではならないと考える理由はないでしょう、やはり。
 そのような声の聖域化は結局のところ声優さんのクリエイティヴィティを認めない態度に他なりません。原作シナリオライターキャラクターデザイナーがメディアミックスに際して変更されていいのと同じ権利で、原作の声優も変更されていい。そうでないと言うのは、声優さんは原作の不可分な一部を担っているとは看做されていないからに他ならないでしょう。
 多分声優さんはそれでもいいんです。原作だろうがアニメ化作品だろうが、呼ばれてって与えられた本読んでなにがしかのお金をもらうだけってのはおんなじですから。キャストを変更されたら減収になるのでいやだ、とこれは納得の行く話です。*1
 でも、これは、我々一般の声優ファンにとっては、まさに文字通りのIt's not my business.なのでありまして。知った事ではないですし、何より俺のお仕事ではありません。にもかかわらず、想像的に利益代表者を務める事でなにがしかの一体感を得る*2、というような、せせこましい仕方でしか声優ファンである事が出来ないのだとすれば、それはやはり寂しい話です。
 だから声優についてそういう空想的同一化とは違った仕方で確固たる手ごたえを持って語れる言葉=声優批評*3が必要だ、という結論になるのだけれど。

*1:かくのごとく、声優にとってキャラクターとは利権に他ならないわけだが、作品の生みの親ならば、声優なんぞに自分の子供にも喩えるべきキャラクターを利権として占有される事にこそ嫌悪感を抱いたってかまわないはずであろうに、そのような言明が全く見られないというのも不気味である。

*2:つまりそれがアイドルとして崇拝する、という事なわけだが。

*3:当然、それは声優がアイドルとして現前している事まで含みこんだ言葉でなければならない。アフレコ技能者主義の欺瞞にはもう俺たちは戻れないのだから。