崖の上のポニョ

 『ゲド戦記』と併せて見ないとまるで分からない映画。
 アレンがおとなしく歩くからリサはアウト・イン・アウトで車を飛ばす。アレンが静かに食事を取るから宗介とポニョはチキンラーメンに殊更に派手なリアクションをする。
 アニメとはこうでなければならない、という押し付けがましいまでの主張が画面に充満していて、とても息苦しい映画でした。飯ぐらい黙って食え。
 宮崎駿にとってのアニメってのは、多分嘘なのです。
 駿キャラはダイナミックに食事を取ります。ダイナミックな動きをつけてやらなければ、食事なんてのが楽しいはずはないからです。
 駿キャラは無駄な重心移動を伴う移動をします。そうでもしなければ移動するだけのことが楽しいはずはないからです。
 アニメ映画が作り出している楽しい世界、それはまるごと嘘でなければならない。つまり現実のこの世界はつまらなくて間違っていなければならない。それが宮崎駿の信念なのです、少なくとも『ポニョ』を見る限り*1
 海で拾った金魚を水道水につけることが何の問題も引き起こさない展開とか、あまりに密度の高い魚の群れとか、海水芝生に撒いたらマズいだろとか、明らかな、だけど絵面として気持ちよかったり話がてっとり早かったりする嘘を躊躇なくついていかなければならない。
 そういう主張が表に出すぎて、なんかこう、ああ、『ゲド戦記』にそんなに何もかも否定された気になってしまったんだ……と暗鬱たる気分になりました。

*1:この信念を敷衍すると、宮崎駿が社会・環境問題をアニメの形で語ってきたことには屈折があったのだ、という話にもなる。嘘なので解決を示してもいいと思えばこそ、堂々と作品化できる、という。