2006-09-11 ■ 空気系話続き。 問題はやはり『ARIA』の話柄の大きさであって、そしてそれを支えるダイナミックなカメラワークだ。 フレームサイズもショットサイズも自由自在に切り替わるあのうるささは、『苺ましまろ』や『あずまんが大王』のミニマルさとはどうしたって相容れないだろう。
2006-09-11 ■ ショットサイズに関して『苺ましまろ』と似たような方針を採用している漫画も実は少なからず存在し、例えば『ヨコハマ買い出し紀行』や『EDEN』はショットサイズをあまり弄らず、人間*1に焦点を合わせて話が進んで行く。『よつばと!』も十分この類に含まれるだろう。 このような、『苺ましまろ』を究極とするような、低回趣味でミニマルな漫画の呼称として、空気系なる語彙が与えられるのならば、それに反対する理由はあまりない。が、『ARIA』まで入れるのでは話がとっちらかり過ぎるのではないか。 *1:ひとのあいだ、ね。
2006-09-11 ■ 個人的には『ヨコハマ』と『ARIA』は何かが違い後者は好ましく前者はそうでもない、て感覚に説明が付いたってので十分実りがあったような気がする。 あと「電撃大王」萌えの牙城説*1にも反論できるなあ。 *1:『ガンスリンガーガール』を御輿にするような。
2006-09-11 ■ つくづく、『テヅカ・イズ・デッド』の最大の功績は『ツバメしんどろーむ』の発見であることだなあ。 揶揄でなく。というのは被れまくった一連のエントリを見れば一目瞭然であるとは思うが。