島津冴子のアレ

 えー、先に言っておくと、俺はちゃんと誰でもピカソのCMで股間を硬くする、至極平凡な心ある25歳以上の声優オタクです。
http://www.puni.net/~anyo/diary/200508.html#20050821
 あんよさんが相も変わらずバランスのいいご意見。
 蛇足を承知で付言するのならば、音響監督の意図により島津冴子が排除されたものとして、それが作品の音の部分を引き受ける者としての良心によるものである可能性を考えておきたいところです。
 劇場版で声優が変更されたのは細かくいっぱいいるんですが、とりわけ
ファ;松岡みゆき新井里美
ロザミア;藤井佳代子→浅川悠
フォウ;島津冴子→ゆかな
サラ;水谷優子池脇千鶴
 というあたり、カミーユと同じかそれより低い目線のヒロインたちが軒並みキャスト変更されている事は、作品論的な視座から捉え直す事ができるはずです。
 カミーユの人物像を変える事無くその見せ方を変える、とすれば、飛田展男カミーユはそのまま、周りの女の子の声を代えて人間関係の聞こえ方をちょっとずらす、というのは有効な方法である、どころか必然的にやらなければならない演出でしょう。
 『Z』のオチは、シロッコの毒電波を受けたカミーユが発狂、それを見守るファ、になるには決まっているわけですが、見守るファに新井里美を持ってきた事の意義は、富野監督のハッピーエンド発言などとあわせて推測する事ができます。
 新井里美の声は、言っちゃえばおばん臭いんですが、それは裏を返せば人間の器がでかそう、という事でもあります。ファがでかい人間ならそれだけでああなっちゃってもカミーユはまあそんなに悪くはないだろう、『ZZ』の最終回では復活するわけだし、とまずは言える。
 その布石のための新井里美起用であるとすれば、カミーユ以下の目線のヒロインたちの人間力がファを超えていると困るわけです。上手くオチてくれない。
 新井里美の声の人間力感の源はおばん臭さですからして、本物のおばはんが混ざってると、それだけでこの構図が危うくなる。
 もっと砕けた物言いをすれば、ファが新井里美でフォウが島津冴子ではどっちもおばん臭くておばん臭いアニメになってしまいやしないか、という事ですね。
 新井里美島津冴子も、おばん臭い可愛さ・エロさの最良の部分をそれぞれなりに相異なった形で備えた、素晴らしい声の持ち主ではあるのですが、ファとフォウの位置で並べると、作品としてどうにもすわりが悪かろうとは簡単に推測がつきます。
 で、ゆかななんですが、狭量な娘らしさの表現に関してはやはり当代一の声優ではないかと思います。娘娘したフォウとの悲恋⇔おばん臭いファとの静かな日々という対比がより鮮明になる。ベストチョイスの感さえあります。
 有意義なキャスティングの変更と言うのは絶対にありえますし、ベテラン藤野貞義が悪名を引っかぶってまで拘った島津冴子外しをそう簡単に枕営業とかで片付けて良かろうはずもないと思います。というような視点からの考察はhttp://d.hatena.ne.jp/otokinoki/20050713/p1くらいしかない、と言うのも寂しいところです。池脇千鶴には言及しても水谷優子については殆ど一切言及しない、というこの姿勢は声オタ/声優差別そのもので、そこは感心しないのですが、まあそれはそれ。いや、かく言う俺もゆかなへの言及は少なめですが。
 あと、島津手記のトミノ証言はちゃんと脳内でトミノ語訳して読まないといけないと思います。私はね、インターネットはやらないんです、とか、フォウは冴子だから演じられた役だ、と言い切ります、とか。すると、なんだか見え方がぐぐっと変わってきます。
 すげえ余談。『Z GUNDAM HISTORICA』2号で飛田展男がインタビューに答えてゲームでのカミーユの演技を聞いたトミノ監督に激怒された、と証言しているのですが、カミーユだけ聞いてフォウは聞かなかったんですかねえ。