http://d.hatena.ne.jp/cogni/20051117/p1

例えば、Kanonにおける奇跡の扱いと死亡人物の決定とかいう、可能世界とか多世界解釈とか、個人的に全く興味の無い話題

 なんつうかな、あんまり難しい話ではないと思うんだけど、どうしてこうも誤解されてるんだろう。
 原文を読んでいないとしか思えない。
http://www2.odn.ne.jp/~aab17620/kanon4.htm

エンドごとに起きている事の差というのは実は殆ど無いのである。

http://imaki.hp.infoseek.co.jp/200309.html#2

久弥直樹のシナリオでは、「奇跡」という語はむしろ意図的に日常会話に多用され、「日常的な、奇跡のようにおもえる偶然」と「ありえないはずの状態」と「超常的な救済」の全てにカヴァリッジをもつ。また、確定的な意味をもつことをむしろ排されている(祐一が「奇跡」といえば香里は「奇跡ってそんなものじゃないのよ」と否定するし、栞のいう「奇跡」は祐一によって否定される)。むしろ久弥直樹は『Kanon』という作品において、前述の三つが区別されないような世界を築き上げている、とみることができる。

 あの時の論争風の何かは確かに世界解釈を巡ってもいたけれど、「奇跡の扱い」に関して言うのならば、それは「設定談義」としてではなくナラトロジーのレベルで議論されていたんじゃないでしょうか。