http://d.hatena.ne.jp/otokinoki/20051222/p1
 『ホルス』は高畑監督だ、というのは置いておくとしても、宮崎駿のそれは戦争のモチーフではないのではないでしょうか。
 巨大構築物の崩壊というモチーフを偏愛する作家にりんたろう(1941年1月22日生まれ)がいますが、りんたろうにしろ宮崎にしろ、巨大構造物の崩壊を外部からの圧倒的な暴力=戦争の直接の結果として描く事は少ない。
 彼らが作るのは、巨大構造物がその内部になんらかの矛盾、崩壊の因子を抱えていて、それが噴出する事で巨大構造物が自ずから崩れる、という話ばかりです。
 これは彼らなりの文明批評とこそ言うべきであって、戦争とは文明の矛盾の表出の一種ではありますが、その全てではない。例えば環境問題であったり、なんなら若者の風俗の乱れだってそのような矛盾の表出であるはずです。
 まあ、若者が変な言葉を使ったところで世の中は問題なく動いていくわけですが、そこに、このような矛盾の全面化による社会・世界の全的崩壊を欲望してしまうのが宮崎・りんに共通する心性なのだと言えばそれはまあ否定はしにくかろうと思いますが、戦争経験だけに引き付けるのは無理がある。
 宮崎に関して言えば、もっと直截な戦争への言及がちらほらとあって、それは『ナウシカ』の火の七日間であり『紅の豚』の第一次世界大戦であります。
 その言及は、詳しくは言及しない、という形でのみ、行われるわけですが、でも、それが取り返しのつかない過去の大きな失敗である事は幾度となく提示される。
 まさにトラウマ的な過去として戦争が扱われる。
 戦争の影を執拗に排除した『となりのトトロ』が戦争の傷跡をこれでもかこれでもかとなぞる『火垂るの墓』と併営された事あたりも視野に入れておいた方が面白いかとも。