ARIA the NATURAL

 「魔法の郵便屋さん」は天野こずえ論的には大変に興味深いところに位置する作品でありまして。
 媒体/視点が透明であるかのように振舞う事を許さない、というのが『クレセントノイズ』以降の天野こずえ、風景を描く責務を背負った少年漫画家としての彼女のモラルであろうと思いますが、『クレセントノイズ』ではそれはプチブル的残酷趣味の一環程度の捉えられ方しか当初していなかったわけです。
 不透明な視点とプチブル的残酷趣味の切り離しによって、『AQUA』『ARIA』という風景漫画の大傑作は生まれるわけですが、その端緒がここには伺える、と言っていい。
 システムの犠牲者を麗々しく祭り上げてみせる「空の謳」の残酷趣味どっぷりな描写と比した時、媒体/視点/システムの不透明化という事態が随分と幸せに描かれている事は一読して明らかでありましょう。
 で。
 そういう「魔法の郵便屋さん」の良さはこのアニメのエピソードのどこにあったのでしょうか?
 空君が長老にラブレター渡してはなあ。