ARIA the Natural
というか、あの線路の話を読んでなお、「AQUA」には「とっておきの場所」が
多すぎるなどと抜かす奴は、マジで氏んでいいと思います。
アイちゃんは死ぬとよい、と思いました。
繰り返しになりますが、水無灯里とは不透明な視点です。彼女はメールの差し出し人として直接に我々読者の目の前に立ちふさがります。
我々は、灯里の目を通してしかアクアを見る事ができません。町並みが美しいのも不可思議な出来事が起こるのも全て灯里の主観においてであり、それを客観/間主観的であるかのように装う=視点を透明化する=他者性を排除する機構は原作には存在しません。そのような機構としてアニメ化に際して挿入されたのがあのアイちゃんという少女であり、それを挿入せねば気がすまないというあたりに佐藤順一の邪悪さが仄見えます。
それがまあ、よく出た回。原作にほぼ忠実なのに最後のアイちゃんの台詞で何もかもが台無し、という。