http://d.hatena.ne.jp/deillumination/20060526#1148584991

端的に巨大な人型という時点で、すべてのロボットが天皇であるとしたら駄目なのかしら。とりわけガンダムによってお互い限りなく等価値な(「モビルスーツの性能の差が〜」なんていう言葉で片付けられる範疇の)ロボット対ロボットという図式が普及する以前の、なんだかよくわからないものを相手にしていた頃のロボットは

(主役級の)ロボットは物語世界においては基本的に人々の意思を吸い上げる象徴として働くので(『私は見たわ……Ζガンダムは、人の意思を吸い込んで、自分の力にできるのよ』(Ζ最終話))、「人のための人工の神」という物言いはほとんどの作品に敷衍できそうな気もする

 巨大な人型である以上に、神威とこそ称すべき大威力と威容を誇っている事が重要かと思いますが、基本的にはその通りだと思います。
 で。

ちょっと無理矢理古橋を引っ張ってきた感がある

 ええ、まあ、はい、言い訳の仕様もなく、執筆直前にたまたま読み返していたので思わず入れてしまったのでした。
 あと、菊地秀行夢枕獏クロッシングポイントに古橋秀之を位置づけるというアイデアをどっかで披瀝しておきたかった、とか。
 ただ、そういう裏事情をさて置いても、作中で巨大ロボットの位置づけについての議論が展開されている点が重要だとは思いました。小説でかつ近作なので、小説に関する議論に引っ張り出すのに好都合でもありましたし。
 天皇としてのロボット、という観点で行くのならば『南海奇皇』とか欠かせないはずなんですけどね、本当は。というかそういう観点からロボットアニメ史を整理する作業がありえるはずで、それをさぼっているのは事実です。
 なお、『神魂合体ゴーダンナー』は、スーパー系のデザインを導入しながらロボットの合体と新婚夫婦の合体を隠喩的に重ね合わせる=類似関係はあっても共在関係にはないという描き方をする事で、ロボットそのものへの人物の思い入れを排除したところで作品を成立させていて、主役ロボットが天皇であるとは言えない作品だったりします。そういうのが『ボトムズ』以外にもある、という事で。