日ハムおめ。
 決着ついた瞬間はバイトから帰る電車の中で帰ってきたらそんな結果が出てた感じで、感慨もまあ、そんなにゃないんですが。
 そもそもレギュラーシーズンも下位球団のフロック的な後半戦限定の強さと勢いに力は十分持ちながら勝ちきれなかった西武/SBの二強が飲まれた、としか言いようがなかったわけで、最終戦でのシーズン1位からPO突破という終盤の怒涛の勢いをそのまま持ち込んで地力は十二球団一の中日をひっくり返した、来年に続かなそうな日本一でした。
 パの2強3弱1論外の構図はかわんないと思います。
 ついでに。
 豊田泰光あたりのプレーオフ批判について意味論的な再反論を試みておきたい。年間勝率一位でもないのに、優勝チーム・最強チームでもないのに日本一を決める場に出られるのはおかしい。負けたのに復活の機会があるのはおかしい、そんな事をしていては日本シリーズの価値が落ちるとまとめて問題はなかろう。
 一番単純には、去年、一昨年と松中あたりが幾度も口にした事であるけれど、「そういうルールでやっている以上、(レギュラーシーズン最高勝率を残しながらもリーグ優勝、日本シリーズ進出を逃した事は)納得している」という考え方がある。優等生的に過ぎる気はするが、ルールに従って優勝劣敗を競うスポーツマンの立場からは、これで必要にして十分なはずだ。
 納得できない? 建前にすぎない? 絶対シーズン一位のほうが強いじゃん?
 ではまず。敗者復活の理不尽さについて。
 レギュラーシーズンには、絶対負けられない試合などそうはない。136試合6割5分とすれば、49試合は負けてもまだチャンスがあるのだ。プロ野球のシーズン、3月末から10月頭の半年少しの日々とは、ひいきのチームが負けても負けても蘇ってくる敗者復活の繰り返しの日々だ。シーズン一位が絶望的になっても、個人タイトルがあり、個人タイトルに絡まない選手ばかりのチームでも、ひいきの選手の個人成績が見られる数字であってくれればそれで満足する事は十分に可能だ。ある種の、つまりひいきチームの連勝が3を超えたあたりから不安で不安で仕方がなくなるタイプのファンにとって、野球のシーズンにつきあうとは、心の中で敗者を復活させ続ける事に他ならない。ライオンズは負けたけど、俺の将吾はヒットを打った。万が一に備えて松坂の登板日は外して西口の登板日にドームへ行く*1。そういうリテラシーを、プレーオフ制度はより多くの観客に身につけさせることができるはずだ。
 話がずれた。
 シーズンゲームとは、絶え間ないワンモアチャンスの繰り返しであり、敗者復活はプロスポーツの中でもとりわけ数多い試合数をこなす野球の常態だ。
 ついで。日本シリーズの出場資格。
 そもそも。日本シリーズとは何か? 十二球団最強チームを決める場か?
 冗談ではない。たった7試合ではたして何がわかるだろうか。7試合とは四番打者に1本のヒットも出なかったとしてもたまたま不調、の一語で済ませられるべき試合数だ。十二球団最強チームを本当に決めたいのならば、1リーグ制に移行すべきだ。ポストシーズンゲームは、もとよりおまつりであって、レギュラーシーズンの真剣な戦いとは違う。だから、西武では、なんとポストシーズンゲームは年俸査定に基本的には組み込まれていなかったのである。
 一義的には、プロ野球球団はシーズン優勝*2目指して頑張るものであって、日本シリーズの出場権はシーズン優勝の余禄でしか基本的にはない。ならば、Aクラス確保に副賞があってもいいはずだ。
 で。
 シリーズの価値。というか、ポストシーズンマッチの出場枠の拡大が弛緩をもたらしはしないか、という問題。
 ペナントレース終盤が盛り上がる事は、この3年のパリーグが証明している。
 1位-2位、2位-3位、3位-4位の、つまり5つの順位争いのうち3つまでが意味を持つ事になり、3つもあればどこかは白熱した争いになる蓋然性が高い。
 では、ポストシーズンマッチは?
 正直、まだなんとも言えないところであり、それはこれからの歴史が証明するだろう。今年、斉藤和巳が見せた二つの1-0敗戦が試合の質は下がらないと証明してくれたように思うけれど。
 日本シリーズへのいい準備になるだろう事も確かだしな。
 そんなわけで吾人はPO賛成派。

*1:松坂登板日はほら、基本的に勝てる気でいるから危ないんだよね、心のガードが下がってて。西口なら見られるだけで嬉しいから平気。平気じゃねえけど。なんでカズミは最後のハム連戦でのピッチングを最後の西武連戦でやんなかったかなあ。ちぎしょう。

*2:最高勝率とは限らない。最多勝利が基準になった年もある。