感情移入について。
 俺はこれまで、感情移入ってのは単にある人物の感情・言動の理路が説得的である、と感じられることだと思っていた、というか、そうでさえあれば俺も同じ状況では同じことを思うだろうなと思っていたのだけれど、世間で言う感情移入ってのはそういうもんじゃないらしいぞ、とは薄々気付いていたわけで、それがつまりなんなのか、は『まなびストレート』を見るまで全然わかっていなかった。
 結局、世に言う感情移入というのは、

  1. 人物の感情・言動の理路が説得的である、と感じられること
  2. 人物の感情・言動の理路が自分と類似している、と感じられること
  3. 作品世界内のある一点から眺められた世界のありよう、の作品世界内への再度の現われ、が心地よい*1、と感じられること

 の三つがごちゃまぜになって語られているのではないかと思う。
 辞書義に一番近いのは1なのだが、実はこれが一番例外的な用法でもあって、なぜなら1の立場からは感情移入できない、ということは極めて例外的な事態としてしかありえないからである。どんなに変な感情の動きであっても、それはそれ、として受け入れられないものではない、記述に明らかな矛盾がある*2場合でもない限り。
 感情移入とは、一般に、できない、という形で語られる言葉でもある。
 である以上、2や3の立場から用いられているケースが殆どなのだ。
 シリアルキラーに感情移入できない、というのが2、優柔不断なヘタレ男に感情移入できない、というのが3。
 一般のユーザーが自覚している用法は、2、というケースが多いだろう。ただ、例えば、あんまりヘタレで感情移入できなかった、というとき、大抵は、ヘタレ男に自己同一し負の自己イメージを抱かされるのが不快、という、3の立場でものを感じていて、それがゆえに感情移入を拒否しているのだが、異常性格なので感情移入不能なのだと、不作為を不能にすり替えて語っているものであり、本質的に問題なのは恐らく3である。
 恐らく、感情移入とは、一般に信じられているような人物設定の問題ではなく、視点や語りの位置の問題なのだ。

*1:http://d.hatena.ne.jp/K_NATSUBA/20070313#1173739346

*2:「彼はチビと言われると怒る男だった。チビと言われたので、彼は怒らなかった」くらいの。