sola

 死んでも、忘れ去られても、受け継がれていく営みがある、という。
 健全な形では、永遠とはそのようにしかありえない。不健全な永遠の命に固執する蒼乃がその事を確認するまで、の話。依人*1と二人きりの永遠を生きているつもりで、既に石月姉妹の営みに巻き込まれていた、と確認するまで、でもいいけれど。
ぶっちゃけ

桜が散るころに 偶然会いましょう
見馴れない服を着て 他人の顔をして

 と思ってしまったのでもうダメ。「はじめまして、だよ」とも。
 ところで真名とこよりは絶対血が繋がってないんだろうなあと思ってたんだけどそういうんでもないみたいだったなあ。

 エッジ論の立場から言うと、寝ている能登・寝かせている中原・立っている本多の対比が見事。
 限界の高い中原がエッジを寝かせたときに生じる余裕の感覚、がお姉さんぽさとして立ち上がるこよりに教えを請うシークエンスはひとつの奇跡といえようか。

http://d.hatena.ne.jp/gccbbs/20070702#p1

誰の記憶からも消えることは死ぬことよりも残酷で、いったん自分のことを忘れさせた後再び現れて同様の(さらに依人や茉莉の存在の残滓も組み入れて)関係を築くことは死者の復活よりもグロテスク

 えーと、「残酷で」と「グロテスク」のつながりが微妙に不分明。
 依人と茉莉を残酷な目にあわせておいて自分はのうのうと石月姉妹の元に戻る蒼乃の悪、という話ならば、賛同しかねます。
 あの二人がそれを望んだのであって、蒼乃は二人の事を忘れさせた主体ではない、というのがまずひとつ。
 それから、同様の関係に戻った、というのは粗雑。蒼乃はこよりに教えを請い、真名と一緒に青空の下を歩く。それは依人たちが消え去る以前にはなかった事で、親しく付き合っている、という以外の共通点はなく、まったく新しい関係、と言っても過言ではないのではないかと。
 蒼乃だけが消えた二人の記憶を持っている、というのはこれはもう世代間格差の一語*2であって、まあ無論それが生じるまでにスーパーナチュラルな詐術が介入はしているにしても孫世代と仲良くなるおばあちゃんのごとき蒼乃の感傷までも否定するj必要はないのではないかと。

*1:依頼人と打って頼を消せばいいのか。

*2:なんせ300歳。