半年以上気になっている。
http://yaplog.jp/aslog/archive/480

アーエルって、主人公としてはちょっと変わってて、
視聴者が感情移入できる器としての機能が全然無いじゃないですか。

 アーエルって、こいつは俺か、っていう思い入れを誘うタイプの主人公だと思っていた。
 というか、そのように俺は思い入れていた。
 『シムーン』は確かに暴れ者きたりて美女を持ちて去る、という話、暴れ者にこられた側の話なのだけど、アーエルはただの災難ではなくて、彼女が暴れるその内的必然性てのは痛いくらいに伝わってくる。
 まあ無論あんなに爽やかに生きていた瞬間なんて俺なんぞにあるはずないけど、それでもやっぱりアーエルは俺だ、と言わざるを得ないような共感てのがあったわけで、むしろその共感を排したところで『シムーン』にドはまり、は成立するのか、という疑問がある。
 いや、別にアーエルが普通の主人公だと言い出す気はないんだけど。
すたぶ。