アーユン派のための弁明

アーエルもユンも名分論の人だ、というのは前回言った通り。
二人の違いは結局どのような名分を支持するか、という一点なわけです。
アーエルは自由、ユンは規律、と大括りすることができるのだけれど、偶有的な現有秩序では原理的な自由に比べて立脚点としては弱すぎる。
ここに、ユンがアーエルにいいように見切られ、攻められまくってしまう原因があるわけです。
最終的にユンは偶有性の極限、目の前の恋に飛び込むことでアーエルの呪詛*1を正面から食い破ることに成功するのだけれど、メッシス編ベースに南の前線仕込みのハッテン場的性愛を展開するアーエル、という我らの妄想においてはずっとアーエルのターンなわけで。
それはさておき。
アーエルの言葉に一番人生ねじ曲げられたのはやっぱりユンなわけですよ。
シムーン』におけるユンの行動は、アーエルの言葉によって、死にたいわけではないことを証明させられ、真実に仲間を慈しむためになすべきことを探し求めさせられているばかりだ、と言っても過言ではありません。
なんかねえ、アーエルの論理と一番戦ってる感じすんのよね。
このガチンコ感が僕らがアーユン派になった理由。

*1:「そんな理由じゃ死にたいみたいだ」