天元突破グレンラガン

 「俺を誰だと思っている」に関してなんですが、『神魂合体ゴーダンナー!!』の静流さんの口癖が「私を誰だと思ってるの」だったわけで、恐らくパクってはいないんだろうと思うんだけど、『グレンラガン』ってそんなに孤立した想像力でもない、というのは無論悪口で、オリジナリティがないよねと言いたいわけですが、それにつけても静流さんはいい女だったなあ。あの頃のかかずゆみは本当にエロかった。
 まあ、ロボが結局人間関係拡大表示装置でしかなかった、というあたり、『ゴーダンナー!!』『アクエリオン』なんかの熱血復興アニメ*1と見事に平仄があっている。因みに褒めてない。ロボがそこにいる必然性が弱いって意味ですので。熱血復興系でも操縦技能が問題化される『超重神グラヴィオン』、リメイクでもダンクーガそのものが怖れられている『獣装機攻ダンクーガ・ノヴァ』の大張正己はやはりロボットアニメがどうでなければならないのか、をわかっている。人物のロボに対するコミットがいかにあるか、を描かないと、画面にどーんと押し出されてるなんかデケえ奴が居場所を失うんだよね。その所在のなさを主題化する、というのは出来なかないんだろうけど、少なくとも『グレンラガン』ではやってない。
 やっぱ第四部は低迷してたな。ロシウが元気だったころが懐かしい。一瞬だけ、グレンラガンが単なる兵器に成り遂せてたから。
 ところで『ゴーダンナー!!』をアップトゥデートにしようとすると『キスダム』になる、というのはこれは一面の真理であるように思った。

 ヨーコがどこまでもビキニ鎧女戦士、なのは徹底してるなあ、と思うけれど。

*1:2年に一度くらいは誰かやろうとすんだよね。『ガイキング』とか『鋼鉄神ジーグ』とかのリメイク系も同じような想像力と言えばそう。こういうの、なんか、どれだけ自覚的かはわからないんだけど、製作者は大体今敢えて、みたいな事を言うのよね。ゲドマガの「今だからこそ『ハイレグファンタジー』」を思い出さずにはいられない。今とかなんとか、お前らいつもじゃん、という。