メディア変更に伴ったり伴わなかったりするキャスト変更はしばしば商売の都合として語られるのだがそれは実力が足りないから外されたという現実に向き合わないための声優サイドの方便なのだが実力がないという評価を商売にならないという評価よりも恐れるてのはなんつうか声優界てのが保護されたセカイであるなによりの証拠だよなあとしばしば思う。
 ところで商売よりも実力が大事というのは例えばスポーツの世界なんかでは非常にしばしば持ち出される論理でその実力という奴を見抜ければファンもいっちょまえとされるはずなのに商売でキャストが変わったと主張する事がもののわかったファンの振舞いであるとされているオタク界隈の不可思議よ。
 作品を属人的――単純反映論的作家論的に捉えすぎる弊害と言ってしまえばそうだがそのような発見こそが界隈への才能流入のきっかけでは無論あったろうわけで痛し痒しであるなあ。
 声優批評がここでも求められていると結局いつもの我田引水。