竹宮ゆゆこ『とらドラ6!』

とらドラ! (6) (電撃文庫 た 20-9)

とらドラ! (6) (電撃文庫 た 20-9)

 最後は木刀とか拳とか頭突きとか飛び蹴りとかしか信じない女の子のドリーミィな爽やかさというか、化粧に対する最終的な不信というか、つまり女性性、と一般に言われるようなものをありのままに描きかつそれを超克する契機を探す女の子の小説である、と『とらドラ!』は雑駁にはまとめられる。
 ということはつまるところ結構安直にこのコンセプトを実装しようとした結果として男の子が過剰に美化された世界なのであって、美化された男の子が女の子に奉仕している分にはいいドリー夢だ、とよかよかと読めるんだけど、その男の子の美質の矛先が男の子に向いた瞬間にいやこれは御都合だ、と居心地悪くなってしまうのは、どうしてだろう。男の友情ってそういうんじゃねえんじゃねえの、という、ものっそアレゲな感想です、要は。男が描けてないってか! ありえねえ! でも思ってしまったものはなあ。主要人物の生活感・生理の書き込みに濃淡があって、その濃淡の境界が男女差、に綺麗に重なっていて、書き込みの薄い男どもが微妙にリアルに感じられない、とまとめれば多少は政治的に正しくなる? 言い回しを変えただけじゃダメ?
 清水マリコ『ネペンテス』にも同じ事を思ったわけだが、どうにも俺は少女の気持ちの湿っぽさを描いた小説の少年の気持ちの爽やかさに耐えられないらしい。イナー嘘フェミとイナー男根中心主義者が同時に立ち上がっててへり感が湧き上がる。
 三年の教室に殴り込みをかけるタイガーがフランキーハウスに殴りこみをかける麦わらの一味のようでかっこよかった。
 いや基本的には面白いんだけど、無論。

 佐藤亜紀坂東真砂子猫殺し問題に関するエントリ、を思い出した。このエントリ書きながら。
 そう思って『このラノ』上位を見ると女の業芸に引っ掛けられてるなあ、とは思えてくるわよね。