つまんねえもんを見せられたあと、このつまんなさを共有してくれる相手、を探してネットを彷徨った事がみんなないのかなあ。
 ネット書評なんてそういう需要にこたえるのが第一だと信じてるんですが。
 いや、面白くても同じことするけど。どの道、なんかに触れてなんかを思った、この気持ち・意見を共有してくれる人が欲しいと思うとき、人は「XX 感想」「XX 書評」「XX 傑作」「XX クソ」とかでぐぐるのだ。
 建設的な批判をネットに本気で求める作家や編集者には正気か、と問いたい。それが提供できないと悩むネット感想系の人にも。
 違う言い方をすれば、サイト管理人はサイトの読者*1に向かってだけ書けばよいのであって、一人か二人の作家や編集者のことを考えたって仕方がない、という事。あと褒める感想は商業でも読めるので、貶す感想のほうがネットに求める人多いんじゃないかなあ。俺は俺が面白いと思ったものが貶されてるより俺がつまんないと思ったものが褒められてるほうがイヤ。

 エゴサーチは基本的には自己責任。
 あと、顕名*2の正直な感想を読みたい*3からこそ、ココロの強くもないクリエイターたちはしなくていいエゴサーチに耽るのであって、そこで酷評に遭遇するのも織り込み済み――ある意味、まともな酷評に出会うために人はエゴサーチをするのだ。
 織り込み済みだったはずの酷評に出会って心が折られるのはまあ、事故みたいなもんです。
 しかも渋滞&交通事故多発の信号のとこに歩道橋作ったらその歩道橋から落ちた、みたいな事故。まあ落ちた人は体が不自由でその上補助具を買う金も補助してもらえる身内もなかった人なんだけど。

 匿名の場での話は微妙に別。
 ”正直な感想”である蓋然性が低いから。
 顕名での批判を手控えることでクリエイターが真実を求めて嘘と悪意渦巻く匿名掲示板に行ってしまう、とかそれこそあわわなので書評サイトの人は正直に貶せばいいと思うよ、自分の品位を守れる範囲で。
 クリエイターを匿名掲示板のレスひとつひとつの研究*4とかに走らせないために、顕名の批判はやるべき、と言ってもいい。

*1:宇宙の彼方の理想読者でいい。何故か届いてしまう、どこかにいるかもしれない誰か。現実的にはサイト管理人自身だってかまやしない。

*2:黒木ルール的な意味で。

*3:などと思う時点で心が弱い。

*4:工作員かどうか、工作員だとしたらどの方面か……とか。無論、結論は得られないので、疑心暗鬼の無限ループに陥るだけである。そんなんしてる間に書け、いいから。