ともよちゃんに先に書かれた。
http://www4.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=473384&log=20080522

例えば、タイトルを2分割して別途有料で販売するなんてのは忠誠度を下げるだけだ。信者というものをまるで判っていない。

 とまあ、そんなわけで『醜悪祭』商法のはなし。
 商法としては下の下、というのはともよちゃんの書いている通り。なんだけど、多分、そもそもこの件の背後には、商法と称されねばならないような何者かの意志は働いていないのではないか、と思うのですよ。
 なんせ、誰も得をしていない。むしろ損をしている。ナントカ商法と世に言うものが成り立つのって結局誰も損引いてないからで、掴まされたファン、信用失った編集部、薄い本しか出せず印税少ししか入らずしかも不調のところに批判を加えられた作家とみんなが損こくような商法なんてありえないわけです。
 三者ともに何もないよりは多少マシかも知れないけれど、まあ、信者に喜んでお布施をさせメーカー丸儲けの曲芸商法なんかとは全然違う。
 だから、こんなことがまた起こったらどうしよう、というのは恐らく杞憂に終わる、まあ、もう一回くらいなんかあるかもしれないけれど、常態化するのでは、という心配に関してはまず間違いなくありえないといっていいのではないでしょうか。
 だってさあ、もっと批判受けない/利益率いい/その両方なやり方がいくらでもあるんだもの。
 最善は、もちろん上下巻でかっちり完結させて、ファンブックには完全な後日談、という形式。上下巻の発行ペースを見るに、普通の執筆ペースならこれは十分可能だったはず。十分な執筆期間がとれそうもない日程を押し付けているケースでなければ、この形式が取れなかったことに編集部の積極的な意図を見て取ることはできない。
 今回の件は、ギリギリまでこの最善の形式に拘った結果、他の方策に切り替える時間的余裕がなかっただけのように見える。手抜きで稼いでやろうという悪辣さよりは、むしろできるだけ最善のものを送り出したい愚直さを感じます。
 他の方策ってのは、例えば新刊は無理に出さずカバーかけ替えた新装版出すとかせめてファンブックの短編は完全な番外編にするとかそんなのね。正編上下巻の途中ですが番外編の短編集出します、とか、上下巻予定でしたが上中下巻にします、てのもアリ。
 で。
 最善の形で本が出せなかった事情ってのはまあ、かなり容易に推測できまして、というか、他に絶対ないだろうと思うんですが、作者の人がかなり深刻なスランプ、略してKSSに陥っているということではないでしょうか。
 え?
 それがどうした?
 KSSとか言ってマトモな形で本が出せないんならプロ失格、作家のKSSをどうにかできないなら編集部もプロ失格? 納期までに完成されたものを納品するのがプロ?
 ああ、うん、そうですね。
 で、そのプロ失格宣告にはいったいなにかいいことってあるんでしょうか? KSSな作家さんをさらに追い詰めるだけじゃないでしょうか?
 誰かを悪者にしたい気持ちはわからなくはない。でも、それだけじゃただの憂さ晴らしにしかなっていないわけで、恐らくは虚偽で、しかも建設的でない批判、というのはなんつうかどうしたものかと思う。世界に善意は溢れているがたまに上手くいかないこともある、というストーリーよりも悪意ある何者かが俺たちに牙を剥いてきた、というストーリーのほうが受け入れやすい、というのもねえ。うーん。
 てか、ファンなら、中身の薄い本が出てきたときには、まずありそうもない編集部の商法に怒るよりも、作家のスランプを心配すべきなんじゃないかと思うんだけど、こういう考え方って非常識なのかな、かな。