一般に、セックスをがっちり描写すると作品全体がそっちに引っ張られるから、セックス絡めないでも描けるようなものを描くのならば、セックスなしで作品を構築すべき。
 大体人間普通はセックスしない知り合いのほうが多いんだから、セックスする相手とのことばかり描いたのでは、どういう意味でかはさておいて、普通の人間のありようから登場人物のありようが大きく離れてしまうことになる。
 下手にセックスを取り扱うと作品が空疎になると言ってもいい。
 裏を返すと、セックスがそれなりの重さで描写され、なおかつセックスと関係のないものがよく描かれていたのならば、セックス描写があることで受け手が空疎な印象を受けることも十分ありえてしまうのだ、というか、純愛ゲーのエロシーンを飛ばす人たちはそういう心理になっているのではないか。
 エロシーンの必要性を商業の論理で語ることは、このような心理の人を説得するにはまったくの逆効果であって、なんとなれば、エロシーンが商業の論理に要請されたればこそそれは呪わしいのだから。