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ヨコハマはてサ会議。
つまりオクトーバーフェストにいってきた。
横浜トリエンナーレのでっかい横断幕が馬車道駅にかかっていた。
現代アートってこんな広告出して引き合うくらいの市場はあるんだよなーとつくづく思った。
市場はある、アカデミズムの権威に保護されている。ハイカルチャーってサブカル寄りの評論家が言い募りたがるほどには脆弱なものではないのよね。
それがそうではないかのように言い募られるのはなんていうんですかね、優しい嘘なんです。「まだ沈まずや定遠は」と聞かれたらいや今主砲ブッこまれたばかりなんだけどとか定遠はさておき鎮遠ブリブリに元気なんですけどとは言わず「戦い難く成し果てき」と答えるのが優しさです。
「まだ沈まずやハイカルは」「戦い難く成し果てき」。これでオタクの人たちは微笑んで死んでいけます。
つまりハイカルチャーに乗れてない人間てのは、まず何よりも歴史から排斥されている*1わけだけれど、そうであるという事実に徒に直面させることがいいことなのかどうか。
「勇敢なる水兵」のエピソードは、喩え三浦三等水兵が息を引き取った直後に定遠からの砲撃で松島が木っ端微塵になっても美談であろうと思います。実際には松島に直撃が出た時点で定遠・鎮遠ともに継戦能力はかなり落ちていたようで、必ずしも向山副長は嘘をついたわけではなかったみたいだけど。
まあ、死に際までの執心のあるものに、お前の心配は解決されたと告げる、それが美談なのであって、事実がどうかはあまり関係がない気がします。
では、「まだ沈まずやハイカルは」のケースはどうなのか。これも美談なのか。これもまた優しい嘘なのか。
違う、と思う。
向山の嘘の美しさは、一度だけのバレない嘘であるところにある。
すぐには死なず、その気になれば大抵の情報にアクセスできるオタクに「ハイカルは沈んだ」と言ったところでこの嘘はバレうるのだ。バレないようにするためには、ハイカルの実状を調べられないよう嘘をつき続ける必要がある。
騙すほうも辛いし、騙されるほうはもっと辛い。
ん? ハイカルが沈んでないと知らされたってそのハイカルに乗れないんじゃどうしようもないって?
残り寿命が年単位であるんなら大抵のことは勉強できるよ大丈夫。
あとエロゲ屋のない市町村はあっても図書館のない市町村はないと思うんだよね。県庁所在地でもエロゲが買えない都道府県はあっても美術館ひとつない都道府県もないと思うんだ。あとなんたってハイカル的教養の入り口は学校教育の中にあったりもするわけで。
まあそういう意味では勝ち組の文化ですよ。
学校教育をちゃんと受けて、大学の教養授業とかちゃんと取って、新聞読んで、休日には美術館やらクラシックのコンサートやらに出かけていく。
なんか、そういう生き方ってあっていいんだなというかリアルにそういう人が想像できないくらいに俺からは遠いところにある話なわけだけれど。
そういう、この国と国際社会のエスタブリッシュメントに、君も頑張ればなれる! 頑張らなきゃなんないのがめどい? うん。俺もそう思う。
頑張る方向性はもうひとつありえて、それはサブカルチャーをハイカルチャーとみなさせるためのロビイング活動なんだけれど、こういうロビイングができるはずの人たちがサブカルチャーの享受者に「ハイカルは継戦不能になった」という嘘をつくばかりなのがね、よくないと思うんダスよ。
今はゴミクズ扱いの作品がン年後には評価され……ってのはまだあるのかなあ。日本はもう十分グローバルなハイカル市場に巻き込まれていて辺境からの衝撃をもたらせる位置エネルギーを持っていない気がする。
それ以前にこの文明は継続可能なのかという問題があるな。
*1:アカデミックな教養とみなされない文化は、時間の流れに逆らって保護されたりはしない。現行世代享受者の老病死がそのまま文化の衰退に繋がる。世代が完全に入れ替われば、極々一部のマニアックな研究者以外にはその存在すら知られなくなることも十二分にありうる。