河森正治監督『劇場版マクロスF虚空歌姫〜イツワリノウタヒメ〜』

 川崎はチネチッタにて。最前列ど真ん中。
 楽しかった!
 なんかもう、楽しかった以上の言葉の要らない映画のような気もします。基本的には総集編映画なんだけど、細かくTV版からの変更があって、次はこれが来る、という予想の裏切り方と裏切らなさが大変よいバランスで素直に興奮できた。
 一曲目は「射手座午後九時〜」だったよなあ、と思ってると新曲。そろそろカナリアのケーニッヒモンスターが出て来るんじゃないか、と思うとドカンと登場。シェリルとランカが時間差で歌い出しそうだなこれはあの曲か、と思うとちゃんとあの曲*1、うおっ、あいつまさかひょっとして、と思うと大丈夫。そういうくすぐりに心の中で「待ってました!」「千両役者ッ!」と喝采を上げつつ2時間10分アタマ空っぽで楽しむ、という映画。
 細かい整合性とかどうでもいいじゃない、と言いたくなるところだけれど群像劇的にとっちらかっていたTV版の人間関係を整理して、アルト・ランカ・シェリルの三者関係に話を絞ったことでTV版よりもむしろ納得のいく心理動線が引かれている気がする。
 全くといっていいほど生かされていなかったアルトの歌舞伎役者という設定はある程度生かされ、アルトはシェリルやランカがステージに立つということに対する理解を示し、そして彼女らに重大な示唆を与えさえする。
 シェリルの掘り下げがまた無闇に深くなっていて、ヴァジュラの襲撃の中、混乱して上手くガスジェットが使えないとか、ある程度グレイスの目的や正体を知らされた上で活動している後ろめたさであるとか、既にそこにあるランカとアルトの関係を前に引くか進むか迷ってる感じとか、なにこの繊細な描写、とびっくりした。元来、シェリルは所謂河森コバサナ*2よりの造型ではあり、河森監督のある種の思いいれが透けて見えるような気がしてはいたのだが、河森自身が監督・脚本を務めた劇場版でこの扱いか露骨だなもっとやれ、と思った。
 あと、あの曲を歌い始める直前の展開は『逆境ナイン』のハギワラが男球を投げるくだりを思い出してテンション上がった。
 一方のランカについてはアルトとの関係に悩んでは見せるもののリアルアイドルらしくイザという時の気合の入り方は見事の一言。一挙手一投足の全てが媚態に見える存在感。中島愛ランカ・リーは健在だった*3
 さて、自分たちの歌の力でうまいことヴァジュラをやっつけたシェリルとランカではあるが、それじゃあダメだ、ということが『マクロス7』と、そして『超時空要塞マクロス』第3クールで散々描かれていたことを忘れてはなるまい。「歌で銀河が救えるわけないでしょ」*4という命題の可否は、次回へ持ち越された。
 TV版ではグレイスが都合よく悪役に回ってくれたのでごまかされてしまった感があるが、劇場版ではそこから逃げない結末を見せてもらえると嬉しい。
(ついき)
 ざっくり感想見て回った感じ、うすぼんやりとTV版が好きくらいの層に一番受けているのかもしれない。
 なんかそれってこの手の総集編/再構成劇場版の宿命かもしんないなーとか思った。
 原作のかったるいとこまで愛しちゃってる信者はそれが省かれる劇場版が気に食わず、そういうところはフツーにかったるいと思ってる薄いファンは劇場版特有のすっぱり整理された展開に大喜び。
 ところでこれ基本ミュージカルだと思うのです。とにかく歌、困ったら歌、あとはそれをつなぐ台詞とカッコイイ絵面があればそれでいい。話が薄いとかないとか詰め込みすぎとか敢えて言う必要ないんじゃないのかなー。

*1:ネタバレなので特に秘す。

*2:河森正治作品(でのみ)小林沙苗がふられがちな、一見生真面目で仕事一本の堅物だけれどその顔の薄皮一枚裏に熱情を滾らせていて冷静に見えて追い込まれるとふいに脆さを見せるキャラクター類型のこと。

*3:裏を返せば、声優中島愛がまだ一本立ちはしていない、ということでもある。なお、遠藤綾はやや思い出し思い出し演じているような印象を受けた。こういうとき作り声を忘れない、という能力では桑島法子はやはり抜群である。褒めてはいない。

*4:対プロトデビルンにおいて、バサラはアニマスピリュチアとしての能力を歌を通して発揮することで銀河を救った、とは言える。そのような説明をバサラは認めないだろうが。しかし、バサラが殺しあうもう一方である軍人たちを翻意させたのは、歌によってであったというよりは、あくまでも歌う、というその振る舞いにおいてだったのではないか、と考えることができる。『マクロス7』においても銀河は歌以外の何かによって救われていたのである。