http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20050829#1125327476
 俺たちが声優のモノに拘るのは、声優を愛して愛して愛してやまないのにも、或いは憎んで憎んで憎んでやまないのにもかかわらず結局それを語る言葉をどうしても手に入れられず、失語症状態に追い込まれざるを得なかった闇黒の日々があればこそ、です。
 そんな俺たちにとって、堀江由衣の可愛いけど男とも女ともつかない感じをチンコが生えていると表現するとしっくり来るという発見が光の道であったと言う事がどうして理解できないのですか。
 結局のところ堀江には生えていない、と主張するタイプの人は、堀江由衣の中の人には生えていない蓋然性が高いという程度の根拠しか提出できないじゃないですか。
 それが根拠になると思いこめる人にとっては結局声優ってキャラクターの中の人でしかないんだなと思うばかりですよ。制作裏話を知る事で作品について何事かを知った気になる類の、最低最悪のイエロージャーナリズムじゃないですか。真摯な声優批評から一番遠い態度ですよ。
 そう言う水準の声優観からは俺たちが必死に堀江のモノから声優に関する言葉を組み上げて行こうとしている事は、単なる下種の勘繰りにしか見えないでしょう。単にアイドルを貶めて楽しんでいるだけに見えるでしょう。俺たちだって聖人君子じゃない。だから、そう言う快感を一切味わう事がなかったなんて断言はできない。しかし、そんな低い部分を超えて俺たちは真摯に言葉を捜していた。
 いいですか、堀江由衣に生えている事は、まったくスキャンダルなんかじゃないんです! 彼女の素晴らしい個性なんです!
 そしてそれは分厚い舞台衣装の下にではなく、彼女の声のその表層に堂々と露呈されている。ならば、どうしてそれを賛嘆の目で見上げようとしないのか。何故自らの耳を閉ざし、妄想エコロケーションを試みる事を放棄するのか。
 最悪の思考停止でしょう、それは。

『ONE〜輝く季節へ〜』

 クリアしたんじゃないでしょうか。コンプはまだ。
 クリア順は澪→茜→みさき→繭→七瀬→長森。
 長森=みさき=七瀬>茜>澪>繭、かしら、感心した順は。この年になると麻枝よりも久弥が心地いい。
 繭ルートがとにかくいたたまれなくてキツかったです。
 
> 正直二週目以降のがぐっときますね。消える、と言う事をこっちも受け入れざるを得ないから。
> ところでこのスタッフのゲームやってるといつも登場人物の経済観念に慄然とするんですが、俺だけですか?
> なんつーの、お小遣い握り締めて買い物に来た子供を見る時の居た堪れなさ?
 とmixiで俺が書いていた。
 えーと、人間以前なので、経済学が前提するような合理的な判断をする経済主体としての家計の担い手に見えないのね、麻枝キャラって。
 
 恐らくは日本で一番豪華なメンツからのネタバレをさんざ受けた上でのプレイなので、多分に答え合わせの側面が強く、みさき先輩ってそうか立派な人だったんだなあ、というくらいの新たな知見しか得られなかったと言えばそうでして。ていうかあなたがたの語る『ONE』の方が現物より泣けたんですがどうしてくれるんですか。
 それはそうとこの時のいたる絵は、本当にマジで可愛いですね。いやもうなんだ、すげえ。
 伝説のぶつかり七瀬とかはそら普通に下手だけど、立ち絵の可愛さはこれなんつうか尋常じゃないですよ? 枚数多くて後姿があるだけか、それとも。
 『AIR』が構図力でデッサンを気にさせない事で人体の不正確さを糊塗する事に成功した最初のいたる絵作品だとすれば、『ONE』は人体の正確さとは別次元の立体としてキャラクターを捉えられていた最後のいたる絵作品なんじゃなかろうか。『KANON』の世評の低さも、とすればむべなるかな、である。
 
 以下雑感。
 長森シナリオは無論素晴らしいのだけれど、今の目で見ると『ToHeart』へのカウンターに過ぎないとは言えなくもない。
 作家・麻枝准を発見するのならば繭シナリオだろう。
 七瀬は保留。なんつうかな、想像を絶してまとも。男の子と女の子が出会って仲良くなって恋に落ちて関係を持ってお互いを思いやって理不尽な別れがあって再会してかっこはつかないんだけどそれなりに幸せ、という、なんかこう、実は非常に口出しのしにくいシナリオです。かっこつけたい女の子にかっこつけさせてあげる事で好意を受け入れてもらうという、結構理想的に萌えるお話ではあるまいか。というのが俺のツンデレ嫌いの説明の全てです。かっこつけてる女の子に本当は俺のチンポが欲しいんだろ、て言うのの何が萌えるんさ。
 ところで繭シナリオで発見可能な作家・麻枝准は、随分とこう、なんだ、その、いやーんな感じです。あー、ゲーム作家でなくてシナリオ作家ね。
 人間以前の女の子と、家族の回復というモチーフ。長森と七瀬のシナリオには欠片もその要素が出てこないってのはつまるところこの二本のシナリオは純粋にゲーム作家として書いてるからでしょう、恐らく。
 『AIR』ってのはギャルゲ/エロゲ的な結構が崩れている事自体がコンセプトの一部という歪なゲームだからメインシナリオがゲーム的な要請、つまるところ恋愛的である事の桎梏を離れちゃってるのね。友達も家族も何人いたってかまいはしないけれど、恋人は一人だろ、と言うのがギャルゲーとは「攻略対象となる女の子の数と同じ数だけのシナリオが同時に並行的に展開するというシステム」http://web.archive.org/web/20011123160251/http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Miyuki/8179/diary6.html#000216aでしかないはずなのに恋愛の疑似体験にどうにも何故か傾きがちな理由です。
 
 麻枝ついでに。『CLANNAD』のキャストすごいですね。『KANON』の時もえらくびっくらこいたが、なんつうの、あまりにあまりな読売/レアル/ヤンキースセンス。なお、後ろ行くほどまだマシになるですよ?
 桑島法子をどう使ってるか以外キャスト表から想像できないものがないんじゃないでしょうか。ワクワク感ゼロの、ネームバリュー命の手堅さ。そしてにも関わらずそこはかとなく漂ってくる青二総受けっぽさ。これがギャルゲー(CS)ってもんです。正しいなあ。

 なお、ワクワク感溢れるキャスト、というのは『クラスターエッジhttp://www.cluster-edge.net/staff/みたいのを言います。
>アゲート・フローライト    下野紘
>ベリル・ジャスパー    福山潤
>フォン・アイナ・サルファー 岸尾大輔
>クロム          吉野裕行
>カールス
>(カルセドニー・レニエル) 井上剛
>エマ
>(エマタイト・ラムスベック) 木内秀信

 な?