『ONE〜輝く季節へ〜』

 クリアしたんじゃないでしょうか。コンプはまだ。
 クリア順は澪→茜→みさき→繭→七瀬→長森。
 長森=みさき=七瀬>茜>澪>繭、かしら、感心した順は。この年になると麻枝よりも久弥が心地いい。
 繭ルートがとにかくいたたまれなくてキツかったです。
 
> 正直二週目以降のがぐっときますね。消える、と言う事をこっちも受け入れざるを得ないから。
> ところでこのスタッフのゲームやってるといつも登場人物の経済観念に慄然とするんですが、俺だけですか?
> なんつーの、お小遣い握り締めて買い物に来た子供を見る時の居た堪れなさ?
 とmixiで俺が書いていた。
 えーと、人間以前なので、経済学が前提するような合理的な判断をする経済主体としての家計の担い手に見えないのね、麻枝キャラって。
 
 恐らくは日本で一番豪華なメンツからのネタバレをさんざ受けた上でのプレイなので、多分に答え合わせの側面が強く、みさき先輩ってそうか立派な人だったんだなあ、というくらいの新たな知見しか得られなかったと言えばそうでして。ていうかあなたがたの語る『ONE』の方が現物より泣けたんですがどうしてくれるんですか。
 それはそうとこの時のいたる絵は、本当にマジで可愛いですね。いやもうなんだ、すげえ。
 伝説のぶつかり七瀬とかはそら普通に下手だけど、立ち絵の可愛さはこれなんつうか尋常じゃないですよ? 枚数多くて後姿があるだけか、それとも。
 『AIR』が構図力でデッサンを気にさせない事で人体の不正確さを糊塗する事に成功した最初のいたる絵作品だとすれば、『ONE』は人体の正確さとは別次元の立体としてキャラクターを捉えられていた最後のいたる絵作品なんじゃなかろうか。『KANON』の世評の低さも、とすればむべなるかな、である。
 
 以下雑感。
 長森シナリオは無論素晴らしいのだけれど、今の目で見ると『ToHeart』へのカウンターに過ぎないとは言えなくもない。
 作家・麻枝准を発見するのならば繭シナリオだろう。
 七瀬は保留。なんつうかな、想像を絶してまとも。男の子と女の子が出会って仲良くなって恋に落ちて関係を持ってお互いを思いやって理不尽な別れがあって再会してかっこはつかないんだけどそれなりに幸せ、という、なんかこう、実は非常に口出しのしにくいシナリオです。かっこつけたい女の子にかっこつけさせてあげる事で好意を受け入れてもらうという、結構理想的に萌えるお話ではあるまいか。というのが俺のツンデレ嫌いの説明の全てです。かっこつけてる女の子に本当は俺のチンポが欲しいんだろ、て言うのの何が萌えるんさ。
 ところで繭シナリオで発見可能な作家・麻枝准は、随分とこう、なんだ、その、いやーんな感じです。あー、ゲーム作家でなくてシナリオ作家ね。
 人間以前の女の子と、家族の回復というモチーフ。長森と七瀬のシナリオには欠片もその要素が出てこないってのはつまるところこの二本のシナリオは純粋にゲーム作家として書いてるからでしょう、恐らく。
 『AIR』ってのはギャルゲ/エロゲ的な結構が崩れている事自体がコンセプトの一部という歪なゲームだからメインシナリオがゲーム的な要請、つまるところ恋愛的である事の桎梏を離れちゃってるのね。友達も家族も何人いたってかまいはしないけれど、恋人は一人だろ、と言うのがギャルゲーとは「攻略対象となる女の子の数と同じ数だけのシナリオが同時に並行的に展開するというシステム」http://web.archive.org/web/20011123160251/http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Miyuki/8179/diary6.html#000216aでしかないはずなのに恋愛の疑似体験にどうにも何故か傾きがちな理由です。
 
 麻枝ついでに。『CLANNAD』のキャストすごいですね。『KANON』の時もえらくびっくらこいたが、なんつうの、あまりにあまりな読売/レアル/ヤンキースセンス。なお、後ろ行くほどまだマシになるですよ?
 桑島法子をどう使ってるか以外キャスト表から想像できないものがないんじゃないでしょうか。ワクワク感ゼロの、ネームバリュー命の手堅さ。そしてにも関わらずそこはかとなく漂ってくる青二総受けっぽさ。これがギャルゲー(CS)ってもんです。正しいなあ。