なんかレスっぽく。
 兼盛詠は、ど、という接続助詞がどうにも品無く響いて、その直截さが俺は少し、と思っていました。忍れど色に出にけりわが恋は。そのまんまやん、と。
 忠見詠はすてふ、とかまだき、とか、思ひそめしか、とか、耳慣れない言い回しがあって、よくわからないけどすごそうで何か憧れさせられるものがあったのを覚えています。
(追記)
 わが恋は、というのもやっぱりこう、うーん、下品かなあ、と。
 名詞化してしまうのがなんかこう、粗雑な手つきに見える。その分冷静な距離感があるとも言えて、その部分ではまあ遠回り。
 忠見詠では詠歌主体は自分の気持ちに名前をつけません。恋す、と言い、思ひそむ、という。いずれも動詞であって、それだけにその時の気持ちが生々しく鮮やかに伝わってくる。もの的な兼盛詠に対しこと的な忠見詠、と言うか。そう言う意味では確かにこっぱずかしいのは後者かも。