メメント・サクラ

 90年代から現在に至る声優史を粗描する時、我々は丹下桜の占めるべき位置があまりに小さい事に、違和感を抱く。
 丹下桜とはアニラジ/ギャルゲームーブメントの中から飛び出し、TVアニメでメーンを張り続けるようになる前からスターの一人と見做されていた声優である。
 しかし、彼女のこのようなブレイクの道筋をつけたのは、彼女に半世代先行した國府田マリ子の存在でこそあったはずで、声優史の教科書には國府田の名前だけが記されていればいいはずだ。「……このような道筋を辿った声優には、他に丹下桜など。また、國府田の同世代である『卒業Ⅱ』出演陣が、これと言った代表作を他に持たないにもかかわらず長く青二プロダクションに留まり続けた事も同様の理路として注目されよう。」丹下桜よりも南場千絵子にこそ紙数が割かれるべきだ、というわけだ。
 丹下のアニメでの代表作と言うべき『カードキャプターさくら』が、声優史・アニメ史に占める位置など、微々たるものだ。『カウボーイ・ビバップ』と同じ程度。「金がかかっていてよくできていたその他大勢」。なんらのシーンを作り出す事も、以降のアニメに必要不可欠な人材を輩出する事もなかった、ただの佳作。
 まだしも川澄綾子のデビュー作である『星方武侠アウトロースター』、清水香里のデビュー作の『serial experiments lain』の方が注目されるべきであるくらいなのだ。
 こんな事は、どうしたっておかしいのだ。丹下桜のような声優*1について考える時、我々は声優史的常識を括弧に入れる必要がある。そうしなければ、そのような声優がかつてすごかった、と言う事、今虚心坦懐に聞く時にそれでも持つ説得力を見落とす事にもなろう。
 
http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20060118#p1

ていうか、オネニー様批判が分からんっすよ。9年前ゲサクが言っていた台詞を今新谷が言っているというだけで、ものすごい納得度ではないですか。いったいあかほりさとるの何がトラウマなのか知りたい気がする。

 あかほりさとる批判は抽象的な”旧世代”に対する反感以上のものではあるまいが、声高次元立体内での座標*2の違いを捨象して丹下桜新谷良子の文化的ニッチの同一性を語る事は、それと同じ過剰な抽象化という過ちを犯しているのではあるまいか。
 

*1:他に、飯塚雅弓とか水野愛日とか氷上恭子とか。

*2:要は声質。