mixiから転載。

あくあありあこみゅにかきかけてやめたぶんしょう
皆さん評価高いんですねえ。
元々佐藤順一監督作品を嫌い、というのもあって、アニメが佐藤監督だと聞いた瞬間からテンション下がりっぱなしだったんですが、本編を見て毎回溜息をつかされました。
12話なんか本当にひどかったですよね。
原作の時間意識を如実に語るエピソードは、『AQUA』のNavigation04「猫の王国」であろうかと思われます。入植期の廃墟、という形で、過去は現在のネオヴェネツィアの中に息づいている。
現在の中にモザイク上に過去がある。空間的移動により時間的な過去を想起する事ができる、というのがこの作品のベーシックな時間意識のはずです。
ケット・シーの妖術は、

 コミュ管理人なのに荒らし行為を働こうとしていた漏れでした。
 なお、続きは↓な感じ。

空間的な移動と時間の停滞しかもたらしません。
そこであっさりタイムスリップを行ってしまう、というのは一体何を読んでいるのかと監督と脚本家を問い詰めたくもなります。
グランマの話の時点でまああきれ返ってはいたわけですが。
季節感にこそ拘りぬくあの原作の、エピソードの季節を変更するなんてありえていいはずもなく。夏の季節感の中だからこそ、おばあちゃんの家に行く、というエピソードが語られうる。それを無造作に秋に移す。なんだそれは。
佐藤監督は本当にコンテが上手いだけで、作品のテーマとかコンセプトとかそういうものには興味がないんだなと再確認しました。それが俗情と結託するばかりの抑圧的で広がりのないストーリーの根幹にあるものなんだろうな、とも。
作品の深層を読み込んだ上でそれをアニメ的に表現するには、に真正面から取り組むタイプの作品でなく、こういう雰囲気だけなぞったような、根深いところで原作に対し軽蔑的な接し方しかしない作品が評価されてしまうというのは実に悲しむべき事態ですね。

 アニメ版信者だらけのAQUA・ARIAコミュにこんなん書き込む気だったのか、俺。
 荒れるからやめろと。