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 誤解が在るようなので補足を。
 作画がおまけである、とは良い作画がされている事を全てのアニメに期待はしない、と言うことに過ぎません。
 おまけはあれば嬉しいし、なければ少しは寂しい。いらない、と言うことではない。ただ、当然あるものと期待するのは図々しい。そういうスタンスでTVアニメに臨むと言うことです。作画資源はどの現場にも潤沢にあるものではないですから、そうでなければ楽しめないアニメが多くなってしまいますので。
 だから、

今時のアニメファンは作品全体の統一感やら,十全性(安定)などを強烈に意識するらしく,それを壊す異分子はなるべく排除したいんだとか。声優の演技やらシナリオ(物語)に集中したいがために,邪魔になる個性的な作画を嫌うという。

 一般には知りませんが、俺に関してはこれは全くの正反対です。
 没個性的で安定した作画とアーティスティックで個性的な作画だけがアニメの作画ではありません。スケジュールや技術の問題で稚拙で不安定な作画もまた、アニメの多くを占める作画のありようです。
 作画をおまけとして考えると、この三種類の作画のどれを持つアニメであっても楽しむことができます*1

シナリオと声優(キャラ)がヒエラルキーの最上段にあるという思想

 俺が書いたのは、「コンセプトワーク、それから声優、ついで各話数の文芸=脚本絵コンテ演出」という順序です。

大切なのは原作のイメージを壊さない作画であって,どこの馬の骨とも知れぬアニメタの個性ではない。むしろ個性は邪魔なのだろう。

 というような事は俺が『涼宮ハルヒの憂鬱』に即して世間がそうなっていると分析した内容そのものですが、これを俺は個人的に肯定するものではありません。
 例えば『なのはA`s』に関しては修正前の絵の方が魅力的に動くだろうとは思いました。

*1:無論、コンセプトワーク・声優・各話文芸がよければの話。