http://d.hatena.ne.jp/karia/20060817#1155745601

声優ファン(の中でも特にイベンターと呼ばれる部類の人)というのは、相手が人間だからか「特定の相手に対してはとことん尽くす」「その相手以外は比較的どうでも良い扱いになる」という特徴がある。それを一番表しているのが「プライマリ*1」という言葉である。

 いや、そのりくつはおかしい。
 明らかに、プライマリってのはセカンダリありきの物言い。

「自分のプライマリは○○さん」「プライマリ誰?」などというような会話が時々あったりなかったり。

 という会話を声優ファン同士がするのならば、それはイベント会場なりなんなりであるわけだけれど、合同イベントじゃなく、会話してる声優ファンがDDでない限り、一番好きな声優はその時出演してる奴に決まっているのであって、そうでないからこそこういう会話とプライマリとかの言葉が必要になる。
 声オタ語が必要になるくらいの声オタって大体なんだかんだでDD傾向強いよ、一般に。「相手が人間だからか「特定の相手に対してはとことん尽くす」「その相手以外は比較的どうでも良い扱いになる」という特徴」はあからさまなDDが声オタに嫌忌される理由としては、つまり声オタの観念的な理想としては、ある。だけど多分実際にそれをやってる人は声オタって呼ばれないんじゃないかな。特定声優のファンしかやってない人だよね、そういう人。で、そういう人は幕張や有明には行かないけれど武道館には行く。武道館で歌う人が声優である事へのこだわりは、まあ、人によるが、日がな一日声優史の中に橘ひかりをどう位置づけるかで悩んだりしそうにないので、声優そのものへのこだわりは実は希薄なんじゃないかしらね。
 声優が声優である事に拘ると、かなり必然的にアニメにおいてどのように声優は声優性*1を発露させているのか、を問う方向になります。
 声優を声優であるがゆえに愛する人、という原義に立ち返るなら、

なるべく網羅的にいろんな声優タレントを見渡そうとしているつもりだし、

また〝アニメのいち構成要素としての声優〟という見方も、ずっと継続している

http://d.hatena.ne.jp/UTSURO/20060824#p2
という立場はまさに声優ファン、声オタのあるべき態度だと思います。
 ここで問題になるのは、”声優として”声優を好きになってもらう必要は、声優アイドルビジネスの観点からはあんまりない*2という事で、そうなると嘘のつけないアニメでの声優性の発露などというかったるい過程はすっ飛ばして、ありとあらゆる経路*3が動員される事になる。商業主義批判みたいな眠たい事する気はまるでないし、そういう経路から動員されたファンを否定する気もないんだけれど、このような声優ファンは先述の声優性にこだわりぬくファンとは大分様相が違う事は確かだろう。ここで、声優の顔と声とチチに釣られてイベントへ足繁く通いつめてしまう後者を現場系声優ファン、TVの電波を通じてこそ伝えられる声優性を愛して已まず一人部屋の中で妄想を逞しくする前者を電波系声優ファンと命名したい。
 電波系声優ファンは、非常に目立たない。何故なら妄想しかしていないから。外に出ないから。ネットで声優の情報を求めるのはどこでイベントがあるか知りたい現場系の人たちが多数派で、電波系の声優アニメ語りとかただの検索ノイズ扱いだから。あと、そういう声優/アニメの見方があるって事を誰も教えてくれないから。結局、数が少ないから。
 ただ、そういう声優/アニメの見方はかなり確実に裏切られない、という不可思議極まりない現実がある。それは、電波系声優ファン的な観点は、アニメ制作にはかなり必要不可欠だからで、時折、アニメ制作者のインタビューを読んでいると、お前どんな声オタだよ、と思わされる事がある。このような場面において、声優性はまたアフレコのギャランティーとしてビジネス的な価値を産む事は言うまでもなく、これが声優ビジネスの本道である事も明らかであろう。
 個人的にはとりあえずはそれで満足しておこうかなと。

*1:http://d.hatena.ne.jp/evataka/searchdiary?word=%c0%bc%cd%a5%c0%ad

*2:声優ビジネス全体で、対象を一般のファンに取らなければある。後述。

*3:とは言え、アニメに、殊に人気作に主演する事は最も強力な宣伝で今でもある。