で。
ショットサイズの変更を用いれば、作品にダイナミズムを与える事ができます。殆どショットサイズを効果的に切り替える事だけで、『ARIA』はドラマチックな事は殆ど起こらない話なのに雄大無比な印象を生み出す事に成功しています。
理念形のセカイ系は、このようなダイナミズムを拒絶します。ショットサイズーー視点のマジックによってセカイと繋がる事を否定します。この向こう見ずな潔さがみんながセカイ系に夢を見てしまったその理由です。
しかしてそのようなセカイ系は、ほぼ理念にのみ終わりました。西島大介は大衆作家にはいまいちなれませんでした。大衆的な漫画家たちは正気でした。
であったとしても、ショットサイズの切り替えの多用を潔しとしない精神自体は低回趣味漫画とも萌え系漫画とも通底しあう感覚なのであって、最早エヴァ後ではない現代に於いてもセカイ系の魂は生き続けているのです。
何? ミディアム多用でショットサイズ切り替え多用?
えー、それは普通の漫画っつう事で。普通て。
何の話だったんだ、一体。