片山一良ガンダムやらねえかな・その2

 例えば『エヴァ』では、ロボットが跳んだり跳ねたり走ったりまでしかしない、という縛りを設けて、その枠内で色んな敵と戦えるために第三新東京市という舞台が、そして地下のセントラルドグマという設定が用意されていた。
こういう周到さは、例えば『ラーゼフォン』には全く見られないものだ。神像をモチーフにした重厚なロボットをプカプカ浮かせてどうするのか。せっかくのぶっとい腕でどうして殴りつけないのか。巨大さを生かせる平野部の少ない沖縄をなぜ舞台に据えたのか。
何がかっこいいべきなのかを、ほぼまったくと言っていいくらいに見失っていたと言われても反論は出来まい。
このようなロボットのかっこ良さに関する無定見は『エヴァ』後のロボットアニメの多くに見られるもので、この混乱した状況にさらに拍車をかけたのが3DCGのこれまた無定見な多用とロボゲー文脈の不用意な引用であって、『ファフナー』あたりにはこの混乱の全てが刻印されていると言っていい。