http://d.hatena.ne.jp/crow_henmi/20061117#1163836356
 まず誤解なきよう申し上げておきますれば、年表自体は面白いなあ、と思いますし、試みとして興味深いとも思っております。

そういうのをアベレージなプレイヤーというのか、という定義問題がひとつ。

 えー、定義問題なので、まさに定義によるのですが、「テックジャイアン」の公称発行部数が13万部。サバ読み、立ち読みで済ます人、ネットなんかでチェックしちゃって雑誌は買わない人なんかをちょぼちょぼ見積もって、エロゲの新作情報を追いかけている層は、まあだいたいこの部数の4掛けから8掛けくらいはいてもおかしくないかなあと思います。5万〜10万。
 だとすると、アベレージな、4ケタ台真ん中あたりの売り上げのゲームを買い支えるに十分な数なのではないかと。
 俺が考えていたのはエロゲをメインの趣味にしている人の平均でした。

もうひとつ、それがアベレージなプレイヤーだとしても、そこから零れ落ちる情報は意外に多いという問題もひとつ(たとえば雑誌に紹介されているゲームの中でも、割合正確に印象に残るのはメインストリームに属している一部のゲームだけでしょう)。

 えーと、これは確かにその通りなのですが、そのメインストリームについてまとめておこう、というのが美少女ゲーム年代記の目的だったのではないでしょうか。

取り上げる作品の選定にあたっては,「先鋭的であったものを著者が見出す」という文芸批評的なアプローチは排し,「市場で受け入れられたかどうか」でみる。すなわち,売り上げデータや人気ランキングなどを優先的に考慮する

http://rosebud.g.hatena.ne.jp/

カッコに入れて読むよう東は求めているが,では「広義の美少女ゲームとは何であるのか」について,東は説明をしていない。

 それならば,筆者が解き明かしてみせよう――というのが本稿を執筆した狙いである。

http://rosebud.g.hatena.ne.jp/keyword/序文――ささやかな異議申立
 
 で。

もう少し突っ込んで云うなら、この引用文における「ある一定の意図に従った過去への振り返り」は仮説・手掛かりとして存在するものであっても、発掘されるデータによって逐次修正されるべきものである、ということ――畢竟、史観というのは暫定的な公準である、ということです。

また、暫定的な公準としての史観すらさまざまな断絶が存在し、個人史あるいは狭い文化集団内で共有されるにすぎないという現況を鑑みた場合、id:erlkonig氏のような試みが逆説的な問題提起として機能する――つまりは自己の保有する史観の限定性と、他者との非共有性をさらけ出す機能を持つ、ということについて少し指摘しておきます。

 ええと、もっぺん言いますが、試み自体は面白いと思います。ああ、なるほどキミはそんなんか、という理解が深まる。

その通りなのですが、その先の共有化においては断絶や齟齬が自然と存在している、というのもまたその通りでありましょう。というか、取り込まれる、というフレーズ自体にも違和感があります。

 取り込まれる、は確かに少し語感的に微妙ですね。包摂されている、くらいでしょうか。
 で。
 史観の非共有性・限定性を確認したら、その次は当然暫定的な公準であるそれを少し動かすわけですよね。限定性を下げ、共有性を上げるために。
 人はそれぞれ違うよね、で終わってしまっては悪しき相対主義であって、何も進まないわけですから。
 個人間の断絶は無論あるでしょうが、それを踏まえた上で客観的ととりあえずは言えそう、ええ、まあ、つまり、暫定的な公準、を探っていこうというのがg:rosebudなんじゃないでしょうか。
 バカ美少女ゲーム史は、留意点の剔抉としては興味深いが、それ以上ではない、と思います。