高遠るい『SCAPE-GOD』

ScapeーGod (電撃コミックス)

ScapeーGod (電撃コミックス)

 解説の漏れは、大ネタで言うと、羊が明らかに女なのに「息子」と呼ばれるのは、どう見ても女なのに兄と呼ばれる『覚悟のススメ』の葉隠散。女なのに王子、は『CYNTHIA_THE_MISSION』にも見られるモチーフで、恐らくは『少女革命ウテナ』に由来する。
 前Qの言う倫理性は、社会性と言い換えても差し支えのない種類のものだと思うけれど、この、ファンタジックな設定に人類社会全体のありようを規定させずにはおれない視野の広さは、近未来とはいえこの現実をベースにした世界観の『CYNTHIA_THE_MISSION』においては大分後景に退いていることは忘れられてはならないだろう。ファンタジーはファンタジーだからこそ、倫理的であることを要請される。
 一般的な、現ナントカ、とか、セなんとか、と称されるような作品では、世界観の特異点として女=異性を導入し、いわばこの現実をファンタジー化する――恋愛原理に支配された異界として語りなおし、たかだか異性を到達不可能な彼岸に設定することで、この要請を拒絶することに成功しているのだが、百合であることを選び取った時点でこのような拒絶の可能性は本作においては自ずから閉じられていた、と言っていい。
 このような理路に、作家は実に自覚的で、だから、ひつじさんと緑の間には、恋愛感情らしきものさえ芽生えない。猟色家の緑の純情は、二重の意味ですでに失われた七瀬にしか捧げられていない。恋愛なき百合、という矛盾が、政治的に正しい伝奇、という矛盾を可能ならしめたという点は指摘しておきたい。
 換言すれば、時代はまだまだ百合である。
 ところで、裁く母、とは、つまるところ姉の謂いであろう。これは、ロザリオの授受によって受け継がれる姉性の物語でもあったのだ。
 ごった煮に叩き込まれた複数のモチーフがねじくれながらも貫徹されていく傑作。