土橋真二郎『扉の外』

扉の外 (電撃文庫)

扉の外 (電撃文庫)

 『キノの旅』の正嫡、という印象。陰鬱な股旅物。旅のさなかに起こる事件を描く、のではなく、旅によって巡られる領域を描くことにより、人間や世界の多面性をあぶり出しまた領域にコミットしない旅人のメランコリックな視点を獲得させる事でカタルシスを得るタイプの小説、ということです。
 (『キノの旅』+『オイディプス症候群』+『日曜日には鼠を殺せ』)/4て感じですか、いわば。繰り返されるサークルというタームはミステリ用語のクローズドサークルの引用であり、それがフーコーの権力論と関係してくるあたりの理路は『オイディプス症候群』を参照すべし、てか、まあ、まんまよね。『キノ』フォーマットにより描き出せる権力機構のバリエーションを複数に渡らせる事ができているのはむしろ『オイディプス症候群』よりも徹底しているか。
 主人公はただの一匹狼気取りのバカ、ではなく、隆慶一郎的な意味での自由人、無縁の者なわけですが、まあ、その位置づけが修学旅行中の学生、という集団の中では難しいつうか、アホっぽい、というのはある。些細な点だし、この些細な欠点を捕まえて針小棒大に騒ぎ立てるのはいかがなものかしら。
 オチは、日本では、対幻想と共同幻想は逆立する、て言えば許容される事に伝統的になっているようなものだと思う。
 ゲームにまつわる、情報不足を利用したサスペンスフルな描写、愛美の造形などなど、小説技術的に見るべき部分も多々ある、中々の傑作。個人的には同じく『キノの旅』フォロアーである『二四〇九階の彼女』よりも楽しめた。てか、『二四〇九階の彼女』は『キノ』のハードボイルドな語りにケチャップをぶちまけてエモーショナルに仕立てて見ました=俗情に媚びてみましたさあどうぞ、以上のものではないように思うので、『キノ』後のムーブメント、いや、まあ、あるのかないのかだけどあるとすればその中で可能性を突き詰めてるのは『扉の外』だと思う。