http://blog.goo.ne.jp/skripka/e/79887e5e91930026bb0669587bc14cd6
 その演出細かくないから、というのはまあ、頷けるっつーか、そうですね、という感じ。俺も元記事読んだときに同じことを思いました。
 えーと。
 まなびって空虚な中心としての主人公だから彼女の来歴だの内面だのは描かれる必要はないんじゃないかなあ。
 理屈の通じない暴れ者が、様々な力動渦巻く場にやってきて、そのことによって場に渦巻いていたエネルギーが解放され、クライマックスへ向かっていく、という話形、『用心棒』*1とかああいうのだと俺は思ってました。
 問題なのは、まなびの描写よりも、まなび以外の描写、ことに生徒会メンバー以外の生徒のご都合主義にもほどがある挙動でしょう。

 テクニカルつーかトリビアルな事を言えば、署名のパーセンテージが全ての段階においていくらなんでも無茶な気はします。
 ノルマ50%で最後に60%弱、くらいならありそうな感じです。
 あとはももの放送室ジャック前に38%、そのあと55%、で最後76%、くらいとか。
 形にまではならない思い、を描きたがるのに、同時にイベントのインパクトも演出したい、というのの虻蜂取らずっていうか。

 作品全体のテーマは、ワンフレーズポリティクス、スローガンで煽ってイベントに動員して支持率を上げる、というポピュリズム的な政治手法の肯定・賞賛だと俺は読んでいて、そういう空疎な手法の権化のような天宮学美という人物に一般選挙民代表の他の生徒会メンバーが惹かれていく様がこのような手法に人が飲み込まれていく様のアナロジーになっているのだ、てのはわかる。でも、そのアナロジーだから、で生徒会以外の生徒が動員される理由を説明するのは手つきとして粗雑に過ぎるのではないか。演劇部部長は素晴らしい。もう何人か、あの立ち位置のキャラを出しておけば説得力は段違いだったはずで。
 そもそも、学園という場の持つ政治的性質の剔抉と、言ってしまえば牧歌的な青春群像の描出は恐らく食い合わせが悪い。このかなり悪い食い合わせで相当頑張っているとは思うのだけれど、政治的イベント*2にいまいち乗れない俺がいる。
 あ、アジ演説は吾人おおよろこび。無責任な左巻きインテリ崩れですから。

*1:三十郎は知的だけれど、動機は「俺はこの街が気に入った」て、それで破滅させられるやくざからみれば理不尽そのものでしょう。

*2:まなびの絶対出来るよ演説とか。