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http://blog.goo.ne.jp/kamimagi/e/5228085f598c9d000b49291577a0e0d8
『まなびストレート』って一意にしか読めない話だと思うんだけどなあ。
登場人物の心情含めて、作中の出来事の因果関係は非常に明白。世界背景はあんまり詳細に説明されてはいないけれど、そのことで因果関係が分からなくなる事はない。
それをどう評価するか、それから何にひきつけるかは単に視聴者の趣味嗜好、てだけでしょ。
ご都合主義と言ってもいいし、因果に絡んでこない要素を抑圧していると言ってもいいし、単純すぎるプロットを演出・作画・声優でごまかしていると言ってもいいし、その単純性自体に何かがあると言ってもいいし、これで十分だと言ってもいい。
俺はもうちょい気分で流れていいんじゃないの、と評価し、小泉政権にひきつけて、肯定的な評価なんだへー、と思いました。
完璧にいかにもな堀江由衣と普通にわけわかんねえ伸し方してる野中藍だけでおなか一杯なんですが、まあ、一番大事なことを言えば。
声優は30歳で代表作を持つべきです。
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で、十一話。
言葉にしすぎだと思う。
多分、次に話題になるライブシーンはちょっとずれながらオタ芸を打つ客席を活写したものになるんでないかなあ、とか。
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ついき。
ゆーとぴあだから無葛藤理論なんだよ! てのは誰かもう言ってる? あと「見えるんだよ」が「見える! おれの甲子園が見える!」ていうの。
リーダー的存在が掲げる理念の話にしか、結局は作品が焦点化されてねえんだよなあ。なので本部はヒマ。理念が浸透していれば、予想外の問題など起こるはずがないのであーる。えー。青春て、もっとグダグダなもんじゃなかったっけ? まあ、自主性、までしか作品世界の正義、つーか愛洸学園側は許容しないので、自主性に任せた結果グダグダ、は描けないよねえ。
全てが好転していく第十話が、植田佳奈の抜群に華のある声から始まる、というのはああスタッフ分かってるなと思うんだけど、そんな家庭科部部長と、ついでに演劇部部長が文化祭本番では台詞ひとつない、てのはどうなの?
なんか、家庭科部部長はライブの観客にぽい子がいる気はするんだけどな。
みのりんはあーやより歌うまいだろ、という主張には賛同するが、何故放映日が激奏と重なるかね。
まあ、なんだかんだで。
http://miruna.jugem.jp/?eid=1364
ベースの眼鏡っ娘さんが可愛すぎて素敵すぎて胸キュン
というのに激しく同意です。