http://d.hatena.ne.jp/giolum/20070502#1178005227
 反対に、『学校を出よう!』の二巻以降、とりわけ二巻の魅力が俺にはわからないので、それを人に薦めることができません。
 むしろ『学校を出よう!』の一巻が合わなかったから二巻以降は読まない、というのはただの正解であるように思えます。『タイムリープ』でも『ラスト・ビジョン』でも『ALL YOU NEED IS KILL』でも『ある日、爆弾がおちてきて』でも、時間モノのライトノベルの傑作は他にいくらもあります。谷川流のある意味かったるい語りが合わないといっているのだから、そっちを薦めるのが相手のためなんじゃないですかね。京アニ作品の関連商品として『ハルヒ』を読んでおくのはまあ好きにすれば、って感じで。
 で。
 『涼宮ハルヒの分裂』のトリッキーな構成が『学校を出よう!』に出てきそうだ、というのはまあその通りでしょう。同時進行はこれまでやってないんですが、だからこそ新作では取り扱われそうだ、という考え方は十分ありえます。
 そのことが『涼宮ハルヒの分裂』の読解にどう影響するのでしょうか?
 そこの理路は、ぎをらむさんの元記事では非常に不分明であるように思えます。まあ、似たようなトリッキーな構成を持った小説を紹介する、という意図はわかりますが、それなら「構成に興味があるなら」でいいはずで、「構成と続きに興味があるなら」というのはわかりません。
 なおかつ、トリッキーな構成のライトノベルも『学校を出よう!』の専売特許ではもちろんありません。『悪魔のミカタ』なんかもかなり毛色の変わったことをやっています。
 となると、わざわざ『学校を出よう!』の一巻を腐してまでああいう記事を書く必要があったんでしょうか。
 特異な構成のライトノベルをいくつかまとめて紹介する、みたいな記事でよかったんじゃないでしょうか。

 『学校を出よう!』の一巻の魅力に関しては、以下のエントリが参考になるかと。

ほぼ同時に電撃から出た『学校を出よう! Escape fromThe School』のほうにも手を伸ばしたら、うわ、こっちは同じ作家とは思えないワガママっぷりやん。文体はさほど変わりないんだけど明らかに「読者」の存在なんてどうでもよさげ。編集もようこんなん通したな。ハルヒではそれほど気にならなかった独り善がりな形容詞が無茶しまくってるぞ。あっちでは意図的に抑えてたんだろうなあ。……あー、やべえ、これギャルゲーだ。完全にギャルゲーだ。完膚なきまでにギャルゲーだ。魂の形態がギャルゲーだ。つまり僕はこの本に逆らえない。くそう、買うよ、買っちゃうよ。買えばいいんだろ。家帰ってもっかい読むよバカ。泣けない代わりにもっかい読むよ。そんでこれ何度も読むことになるんだよ。うわー。あー、もう、いいよ。こうなったらついでにハルヒも買ってやるよ。無条件擁護作家リストに谷川流を登録しとくよ、すりゃいいんだろ。それで満足だろ? いい気になって黙ってないでなんとか言えよ。ズルイんだよ畜生。で、学校の折り返しのとこ見たら、作者'70年生まれだった。うーん、なんかいろいろと全てが納得。

http://web.archive.org/web/20031208210902/asciipad.at.infoseek.co.jp/0307.html#05

  • 疎水太郎の遊水地 死せる妹の会

いや,実のところ春奈が消えてしまったことについて確かな原因と結果なんて言えないわけであるが,そこに至るまでにあった気持ちの流れのうえではともかく人間や何かに責任を置きたくてね.だから第三の中庭に電柱を植えにゆきたい.それでもって,つまり,とか言ってまとめようとする僕は死んじゃえと思った.いまを生きる.

http://d.hatena.ne.jp/sosuitarou/20060911
 谷川流作品を貫く中心にあるモチーフは、理不尽に対する怒り、とでもまとめてしまってよかろうものだと思います。それはキョンハルヒに対する、あるいは茉衣子の宮野に対する表面的な態度から、佐々木の友人たちのモチベーション、そして『学校』一巻終盤で爆発する佳由季のエモーションまで、大小さまざまに形を変えて流れている。嫌いな言葉ですが、ツンデレ、とある種の谷川キャラが看做されるのは、あるいは理不尽にも芽生える恋心に彼ら彼女らが怒っているからかもしれません。
 谷川作品を読むとは、このモチーフに身をゆだねることに他ならないはずで、で、このモチーフが最も強く出ているのが『学校を出よう!』の一巻なのは、クライマックスのシーンからも明らか。
 反対に、そんな『学校』一巻を受け入れられない読者が多い、というのが谷川的な理不尽のモチーフがあまり受け入れられやすいものでないこと、多くの『ハルヒ』読者はアニメのほうが好き、というべきである事を示していると思います。茉衣子も佳由季もアニメには出てこないので、彼らが『学校』を読むべきである、という根拠はきわめて弱いのではないでしょうか。