エロゲ原画家をいかに評価するかについて。
 まず抑えておかなければならないのは、エロゲンガーは、集団制作における、中流、少なくとも最上流ではない作業の担当者である、ということ。
 立ち絵なら、上流に企画・キャラクターデザイン、イベント絵ならそれに加えて字コンテかシナリオ、ひょっとしたら絵コンテ、下流には、イベント絵ならイベント背景、それから塗り、立ち絵なら塗りが控えている。
 ゲーム制作の中で、人物の線画を作成する係をエロゲンガーと呼ぶのだ。その線画の担当者がどの程度どのように制作に関わるかは現場により人により色々だが、根本的な業務は人物の線画を描くことに他ならない。
 したがって、エロゲンガーの上手い下手は、人物の線画のありように即してのみ、まずは語られるべきだ。
 背景を描いていないから、自分で塗ってないから下手、などというのは暴論もいいところだ。実際描けるか描けないかはさておいてね。そもそも立ち絵に関して言えば、様々な背景に組み合わせることを前提にして描くのだから、背景とのマッチングをきちっとやられたりしたら、却って使いにくいだけだ。
 人物の線画のありようの上手い下手、というと、まあまずは人体デッサン、というところになるのではないかなあ、と俺は思っている。あとはまあ大抵のケースでイベント絵の構図も任されるので、そのレイアウト能力か。ただ、エロゲの場合、レイアウト能力も自在に発揮するわけにはいかなかったりする。乳尻太ももオメコ顔モノを一画面に入れる事をまずは要求されるから。そんな構図・ポーズってかなり限定されるよね。
 ここで議論を複雑にするのは、大抵の原画家が、キャラクターデザイナーも兼任しているケースが非常に多いということでもあったりしますよね。可愛い顔かどうかってのはキャラクターデザインの問題だもの。そのデザインに似せられるかどうか、は原画家の技術の範疇に入るだろうけど、それはエロゲの実態においては問題化されない技術だ。自分でデザインして自分で描くんだから、似せるのには基本的に易しいはずだから。
 で、キャラクターデザインやデッサンの上手い下手とは別に、原画家キャラクターデザイナー自身のブランド力ってのがあって。これは露出が増えれば増えるほど上がっていく。しかも、毎度同じような絵を描いているほうが認知されやすくて、ブランド力も上がりやすい。いろんな顔や構図を描くこと、はここでは負の要素として働きかねなかったり実はする。
 あとはまあ、シナリオなりシステムなり声なりなんなりとのマッチングですね。これはもう、原画家一人でなんとかなるアレではないけれど。
 ブランド力がある/人体デッサンが正確/レイアウトが秀逸/デザインセンスが秀逸/作風とマッチしている。
 エロゲンガー(兼エロゲキャラデ)の良さってのはまあ、ざっくりいってこれくらいの基準があって、現場的には手が早いとか指示が伝わりやすいとかそういうのも重要なんだけどそれもおいておいて、純粋な原画作業の良し悪しを言うならデッサン力とレイアウト能力から考えるべきだと思う。その観点で言うと、Tony・INO・佐野俊英鈴平ひろ七尾奈留いとうのいぢってのは、鈴平ひろまでが上手い、七尾奈留がフツー、いとうのいぢは下手、ということになると思う。樋上いたる西又葵ならレイアウト能力で樋上いたるのが上手い。デザイナーとしての評価、ブランド力、他のパートとの相乗効果を入れれば、もちろんこの評価は変わる。
 そして、市場と現場が重視するのは、純然たる原画作業能力の高低ではない、総合力なのだ。

 で。
http://d.hatena.ne.jp/NaokiTakahashi/20080225#p1

俺個人の方針として言うならば、売れてるものを「わからない」「嫌い」「(俺には)つまらない」と評価することはあっても「下手」「価値が低い」とは評価しないように心がけています。理由は、負け惜しみにしか聞こえないからです。

 んーと、これはこれで立派な態度だとは思うのですが、技術体系、というのはやはり厳然としてあるわけで、そのあるものについての議論を回避する、というのはいかがなものかと。ある技術体系に照らし合わせれば高度ではない、という限定された意味でならば、「下手」という言葉は必ずしも忌避されなくてもいい、と思います。忌避されねばならないのは、下手→だからダメ→なのに売れている→市場は見る目がない→見る目がない市場相手に頑張らされている俺可哀想/見る目がない市場相手にあえて頑張る俺かっこいい、というような自己憐憫、自己正当化でしょう。「下手」と「価値が低い」の間には大きな隔たりがあると思います。

 「下手、だからダメ」と主張する人への反論は二通りありえて、ひとつは「上手いじゃん。お前どこに目ぇつけてんの」、もうひとつは「下手、だけど他にいいところがあるんだよ」になる。
 後者って何故売れるのか、というすごく難しい問題に踏みこまなくちゃならなくて大変にめどいし、ごまかしっぽくも映るという意味で下策だと思うんだけど、何故みんな前者を選択せんのかなあ。
 相手の主張を真っ向から否定して気分を損ねないよう不必要な譲歩を思わずしてしまうネットバッドノウハウの一環だな、これも。
 高橋さんがこの件で絡んでた人って前者で対応できたと思うんだけどなあ。だって明らかにエロ原画の見方知らない、エロゲの基本的な分業体制すらわかってないんだもん。
■(追記1)
 ところで、プロデュースサイドとしては、極論すれば原画・キャラデザにはブランド力さえあればそれでいい。
 ブランド力は露出量にほぼ比例してあがっていくわけだけれど、この比例定数は、絵柄の判別のしやすさによって決定される、と言っていいだろう。
 所謂判子絵は、とても判別しやすい絵柄である、という点で、ブランディング上の優位がある。というか、そもそもブランドってのは牛の焼印のことをいう言葉なのだ*1。適当なネットスラングが思わぬ真理を突いていた、という偶然。
■(追記2)

結局オタ絵描きのデッサン力が取りざたされるのって稀少でわかりやすく非本質的だからなんだよな。

 ってついったで俺がゆってた。
 いや、まあ、そんなんだから茶飲み話にはちょうどいいのよね。

*1:テリーさんのフェイバリットホールド、カーフ・ブランディングでお馴染みの用法。