クリストファー・ノーラン監督『ダークナイト』

 なるほど絶賛されるだけはある映画でした。
 見た後は高層ビルと窓際が怖くなります。出てくるガラス(透明なメディウム)というガラス(透明なメディウム)が打ち砕かれる映画、とざっくりまとめてもいいでしょうか。
 ガラス(透明なメディウム)てのはまあ別にただのアレではなくて、不透明性というようなものを扱っているということなんでがす、つまり。見通しが利かない、状況が把握できない、真実がわからない。そういうシチュエーションがてんこ盛り。もちろん一義的にはそれはサスペンスを構築する方法論なのだけれど、その不透明さのど真ん中に何がなんだかわからない最凶の男・ジョーカーが位置してガラス(透明なメディウム)をぶっとばし/させて回ることで、テーマとプロットと表現が一致を見る。そういう部分で160分の尺を長く感じさせない引き締まった傑作であると思います。正義の前に透明な男、ハービー・デントの心を素通しする透明なメディウムだった両面表のコインの片面が煤で汚れることで殺意すら不透明な怪人トゥーフェイスが誕生する、というのも上手い。無論、トゥーフェイスバットマンの対決の舞台は、透明なメディウムのあらかた吹っ飛び終わった場所なのでありますし、目穴が不透明化したときバットマンは問題アリアリのシステムを通じた透視能力を得る、つまり不透明であるが故に二手先三手先を読み状況を支配できるジョーカーと同じところに立って彼と互角に戦いうるわけであります。ジョーカーと互角の位置に立つことでバットマンがそれまで肉体的には圧倒していたジョーカーにフツーにボコられるのは互角、ということの表現としては理にかなっている。無論、強さ設定という理にはかなってないんだけど。
 問題アリアリシステムに関して言うとまあモーガン・フリーマンなら間違いはあんめえと思ってしまった。
 うん、まあ、マイケル・ケインモーガン・フリーマンの二人の名優の存在感があまりに大きすぎた気はした。クリスチャン・ベール青二才ヅラなのもあいまって、二人の老人の庇護の下で若造がわがままを通しているだけのように見え過ぎてしまったのは玉に瑕。結局そういう話といえばそうだしねえ。わかってもらえないけど頑張る俺かっこいいという話といえばそうだもの。

 余談。
 トラウマがあるのでワルくなりました、という物語をなんかいい加減な形で展開してファックするアレな人、というと、まあもちろん『ブライトライツ・ホーリーランド』のスレイマンなわけです。『ブライトライツ・ホーリーランド』がより終末的なのは、スレイマンはあんなにああなのにヒーローのアンチとしての悪役とかじゃない、別に普通の(普通の?)ちょっと暴れ者の気のいい主人公であることで。『ダークナイト』の批評性の大体の部分はブラシリーズがもうやっている。しかも、より先鋭的な形で。なんで俺たち今更『ダークナイト』褒めてんだろう、という忸怩たるアレが古橋秀之ファンとしてはあるわよね。
 結論として、クリストファー・ノーラン監督、クリスチャン・ベール主演の『ブラックロッド』が見たい。