ザ・ラスト・オブ・ツンデレ

 俺正史*1に拠れば、『修羅の門』ボクシング編、マイケル・アーロン戦後、舞子が「九十九は絶対負けちゃやだ」と言い切った瞬間をもってして、80年代とツンデレは終わった事になっている。1992年4月。それは、80年代ラブコメの最後の申し子・川原正敏が、あだち充の影響圏から完全に離脱した瞬間であった。これも俺正史による。
 それ以降、時代は90年代に突入し、半眼断言電波系こそがヒロインの理想形となる。時代を代表するヒロインとしてはリリーナ・ピースクラフトであり綾波レイであるわけだが、その気高さを踏み躙るためだけに造形されたようなホシノルリの事を思うにつけても90年代オタクとして『ナデシコ』をどうしてくれよう。で、90年代の最後に『ONE』と『嬌烙の館』な。嘘臭っ。
 80年代復古運動にあまり感心しないのは90年代に十代の全てを消費したからではないでしょうか。

*1:いんあざわーず妄想

D.C.S.S.

 松来未祐の魔法が解けると途端に緊張感がなくなるなあ。
 いなくなった人たちの話をする事抜きには新しい人を迎え入れる事ってのは出来ないはずでさ。という意味で音夢帰還三部作は面白かったのだが、そのあとどうしてアイシアが環の周りを一人で引っ掻き回す話にしちゃうのかしら。
 純一がくっついていって環となんかこう少しいい雰囲気になったりして音夢が兄さんは環さんの方がいいみたいですからとか言い出して・・・みたいな構成になんでしなかったんでしょう。
 続編、ていうのは再話になるはずです、普通。ならないと続編であるという意味がない。
 前作で堅く結びついた音夢と純一だからあんまり揺らしませんことりお当番回orさくら帰還回まで、てのはそれなんか違うだろう。前作よりもむしろハードにずがんずがん揺らさなあかんのですよ。ファーストでも結局空回ってただけのシャアと言う人がZではもうそれはそれは切ない目にあう、みたいにな。
 なんだろうね、頼子さんとかさくらってあたりに対する純一の愛を感じないんだなあ。それを物語的に表現しようとすれば、託されたものを取り落としそうになるしかないよねえ。