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いわゆる「アーティスト」な声優さんのアーティストな所以は、「年を取っていく等身大の私を見せること」なのでしょうか、それとも何か別のものなのでしょうか。

 端的に言えば、何か別のものです。
 ここで言うアーティストとは、歌謡曲時代の歌手のアンチとしての、フォーク/ニューミュージックのシンガーソングライターの自己規定の謂いではありません。
 自分が出演していないアニメの主題歌を歌う、音楽性が如何にもなアイドル歌謡/アニメソングでない、オリジナルアルバムの発売間隔が短い、歌が上手すぎる、声優としての仕事量が良く見ると少ないなどの指標により、どうにもこの人は声優の仕事の一環として以上の重みを音楽活動においているのではないか、というような人物を非・声優、即ちアーティストと呼ぶわけでして。歴史的には椎名へきるのアーティスト宣言というものがありますが、2002年の元旦に武道館ライブでされたというこの宣言については詳細が何分藪の中。
 まあ、声優ファン業界特有の悪口と思っていただければ。
 フォークやニューミュジックの歌い手たちがこの言葉に託した自己表現・自己実現のニュアンスは声優ファンが声優をそう罵る時には顧慮されません。
 というのも、アフレコ技能者原理主義は明らかな欺瞞であるとして退けられるにしても、テクニカルな、或いはアーティフィシアルな何かがボクらと声優さんの間に関与しているという信念だけは何故か声優ファンの間に抜き難くあるものでして、である以上、声優のCDの方向性は声優自身ではなくプロデュースサイドによって決定されていなくては困るため、声優の自己表現・自己実現なんて事はそもあってはならないからです。*1

グラビア雑誌ふうの声優雑誌の増加は、外見上の変化という、本来ならば声優さんがあまり気にしなくていい部分に光を当ててしまいますが、それによるデメリットはどの程度あるのでしょうか。

 グラビア雑誌ふうの声優雑誌に取り上げられるのはまあ、二十代のうちです。
 なので実はデメリットはないかと。
 逆に

:声優というのは、年齢を経ていく際に、見せ方の変化を他の芸能業種に比べてあまり気にしなくていい職種だと思うのですが(声の衰え、というのはありますが)

という前提の方が多分ちょっと違いまして。
 声の衰えは実は顔以上にごまかしの効かないものであり、大体はティーンエイジャーのアニメのメインキャラなんかは30代後半に差し掛かるとかなりキツくなります。既にある長期レギュラーは別ですが、新規でそういう仕事を取るのは難しくなる。そのため、母親・父親役、さらに年を取れば老婆・老爺役でどれだけ存在感を発揮できるかを考えていかなければならなくなってくる。
 そういう部分で見せ方の変化には実は顔出しのお仕事以上に敏感にならなきゃいけなかったりします。
 

*1:無論、これは筆が滑った極端な物言いではあって、みんながしているコミットメントはアーティフィシャルなものが介入している可能性を忘れてはならない、というくらいであって、それを忘れない以上単純な自己表現・自己実現として受け取る危険は冒せないだけなんですが。そしてアーティフィシャルなものに介入されたいのは、結局のところ声優さんを広義の創作者に含まれるような演技者であると信じたい、あるいはそうだからこそ好きだという事なんだと思います。