神田朱未広橋涼はそれぞれ違った形で桑島法子の影響下、というかフォロワーだなあと思う事がしばしばあって。
 まず、神田は作り声のバリエーションを増やす事と作り声ベースの芝居を構築する事に血道を上げる、という桑島法子と同じ方向のプレゼンスを目指していて、その結果として地声の近くにベースを置いてそこから自分の使える声全てを1キャラにつぎ込むような、アーツの声優みたいな芝居がまるでできなくなってしまい、結果、ハイレベルなテクニックを持ちながらメインヒロインにだけはフィットしなくなってしまう、という桑島と同じジレンマに落ち込んでいるあたりが本当にそう。キャラ毎に違わせる事、への異常な熱意こそ桑島には劣るものの、一つ一つの作り声はいい意味で教科書的で本当に魅力的だし芝居の精度もシリーズ開始時点から高くて*1、いかにも青二の充実した育成システムが生んだスーパーエリート秀才声優という感じを受けるのだが、それだけに野卑な力技は不得手、というか、結局自分だけの武器を持てていないあたりにひ弱さを感じさせます。『となグラ!』の感想。端々でいい声出してるんだけどその全体を統御する層が明確でない、というか。
 桑島法子の技を目指したのが神田朱未ならば桑島法子の力を目指したのが広橋涼で、広橋は非常に具体的に、台詞の途中でガツンと感情のテンションを切り替える桑島オリジナルの芝居を桑島以外で殆ど唯一モノにしている*2。この桑島オリジナルは、感情の変化が普通の人と違う人を表現するための切り札であり、神経質で根暗で癇性持ちの眼鏡っ娘が突然ぶちきれる瞬間を演じさせれば余人の追随をゆるさない、と評される所以でもあるのだけれど、広橋はこの桑島の切り札を日常芝居からガンガンつっこんでいくという荒業に出ている。常時特殊な芝居を展開してなおリアリティを発散させないのは天才の成せる業だが、これがフィットするゾーンを異常に狭める結果にもなっており、コミュニケーション不全気味なやや精神的に稚い無垢な魂の持ち主を演じさせれば天下に並ぶものはないが、それ以外がまるでだめ、というプレゼンスの源になっている。『コヨーテ ラグタイムショー』の感想。でもまあ腐っても青二、という最低限度の万能性は保持してるんだけれど、最低限度だよなあ。
 正直神田と広橋逆のがいいと思います。
 白石涼子野田順子野中藍大本眞基子みたいって言うのは凄く普通の話なのでこの際省きますよと。桑島の陥穽に陥らず順調に伸してるなあ、とだけ。

*1:桑島は声を変える事に傾きすぎて芝居の組み立ての精度を往々にして見失う。特にシリーズ開始当初はぎこちなかったりする。

*2:他の声優がこれをやらないのは、正直やらなくていいし、そう言うリアリティを恐らく持ってないから。さらに言えば、対話劇のシナリオとはこのような演技を常時要請するようには書かれないはずだ。対話である以上、一人物の一つの台詞は対話者に対する効果としてこそまずは配置される。であれば、台詞の中での感情の切り替わり、自分の言葉に自分で応える事は原則的には例外的な事態である、と言える。原則的には例外的な事態を細かく挟み込む事が匠の技であるとはなんにつけ言えるわけで、対他的な効果だけしかない台詞はつまらないし、そういう脚本は下とすべきである。が、脚本家から声優に目を移せば、桑島のようにしばしば、広橋のように常時台詞の途中で感情を激しく切り替える演技は書いてある通りに読む、という基本からは外れるはずだ、統計的に。