オタ欲一元論*1を最終的に俺が受け入れ得ないのは、それが結局のところ動機の不純さを衝く事で行為の不当性を証立てようとする態度であって、提唱者のシビアな現実を見つめているという自負とは裏腹に動機の純粋性に拘泥する、極めてナイーブな心性の反映に他ならないからである、と言える。
え?
いや、『働きマン』の向こうに主人公に共感して癒される、松方さんほどには有能じゃ客観的にはないOLさんを幻視してキモがっている自分への戒め。

*1:作品の有り様を読者の下衆な欲望の反映としてのみ理解する態度。オタク的な領域に限らず散見されるが、俺かよくぶつかるのはオタク系でなので、このように呼称しておく。このような議論がくだらないのは、欲望の有り様やその反映形態にある程度以上の捻りを認めない事にはカバーできる範囲が狭まってしまうためで、その捻りは十分に、オッカムの剃刀で切り捨てられるべき程度に複雑になってしまい得るのだからして、作家性や作品性を排除して考える事は結局は単に不合理だという事になるからだ。