大東流合気道・武術気功”200戦無敗”柳龍拳☓vsバルボーザ柔術”ヨ〜ガ柔術”岩倉豪○ 於:きたえーる武道場柔道室

 試合場で起こった事にはなんの不思議もなかった。
 対戦者二人のプロフィールとこの試合のルールから想像されたとおりの展開。
 柳氏は、総合格闘技のセオリーさえ知らず、岩倉氏は万が一糸巻き攻撃が実在したときに備えて最初から全力で倒しに行った。結果、岩倉氏の鉄拳の前に柳氏はなす術もなく血の海に沈んだ。
 疑問の余地のない完全決着だのに、どうして俺は何もかもに納得が行かないのか。
 明らかに、柳氏は総合格闘技に関する想像力を持たなかった。素手で顔面を殴られる可能性すら理解していなかったようにも見える。無論、それで歯が折れるかもしれない可能性など、その先の先の話であり、当然想定はしていなかったはずだ。
 では何故、そんな人物が試合の場に立ってしまったのか。何故、あのような挑発的なウェブサイトを公開してしまったのか。
 我々が目の当たりにした、柳龍拳氏は、穏やかで善良な人物だった。弟子たちは、善良な市井の人々にしか見えなかった。彼らの約束組み手には、それよりも型稽古をもっとこなしたほうがいいレベルのものが多く、指導員がついていなかったこと、型が一々煩雑に過ぎて*1護身術としての実用性に疑問が残ったりもしたが、市井の護身術教室として極端に不自然な部分はなかった。
 だからこそ、何故、という疑問が頭を離れない。
 試合後、岩倉氏のセコンドだったチーム・バルボーザジャパン主催のTAISHOこと岩間朝美氏は、我々見学者に向かって叫んだ。あなたたちはこんなものが見たかったのか、と。
 そんなはずはない、と俺は答える。そうだ、その通りだ、と俺は答える。
 スポーツ観戦者は、己の幻想と向き合うために試合場へ足を運ぶ。幻滅するために*2、俺たちは2万なにがしの航空運賃を支払って札幌まで赴いたのだ*3。OBだからのほほんと眺めていられる後藤邑子イベントを振り捨ててまで、津軽海峡を越えた。幻滅するために。
 だが、ここまでのリアルを、俺は見せつけられる覚悟を決めていたのだろうか? 実力差のはっきりした形で柳氏が負ける、それは、試合が行われれば9分9厘訪れるだろう結末であり、ノーグローブならば大変に陰惨な形にもなりうる。TAISHO氏の言葉と、そしてバルボーザジャパンサイト上での不自然なほどの沈黙は、彼がその事を、総合格闘技が本来大変に危険な要素をもったスポーツである事をよく知ればこその重みがある。安全に幻滅を楽しませてもらうために必要な前提が如何に多いかを、俺は忘れてはいなかったか。
 それは卑怯だ、ずるい、と叫んでいた見学者の女性が、ルールを理解していなかった事は確かだ。だが、なにか間違った事態が目の前で目の前で進行している、というのは、あの場にいたほとんどの人間が感じていた事ではなかったか。
 柳氏は弱かった。戦いの場において、想像力を欠くとは致命的な事だ。それすら恐らく彼は知らなかった。真剣勝負の場に立った勇気は無論すばらしい。が、勇気を見せる前になすべきことはある。
 いや、そんな人生訓めいたものを引っ張り出したところで何がどうなるわけではないのだ。俺がきたえーるで、あの異様に重苦しい雰囲気の試合会場で見てしまったものは、そんな理屈が通用しようもない何かだった。
 得るものがなかったとは言わないが、あったと胸を張っていえるはずもない。
 2万なにがしの大枚叩いて、俺は、この住み慣れた町から遠く離れた北海道で、胸を張れないような、そんな経験をしてきた。

*1:しかし、これは練習ではあえて難しい動きをする事で本番ではもっと簡略な入り方が出来るようにする、という練習なのかもしれない。

*2:たとえ、応援している方が勝利したとしても、それは幻滅だ。幻想が幻想である事を放棄したのだから。

*3:札幌合流のkamimagiさんを除く。わざわざお呼びたてした上に道案内までお願いして、さらにあんな陰惨な現場につきあわせてしまってどうも申し訳ありませんでした。