混沌としたまま疾走して行くイメージ、という点では、合うアニメはあっていいはずだし、例えば富野作品なんか、殊に『キングゲイナー』とかそうだと思うんだけど、『コードギアス』の世界はまあ、FLOWの世界くらいに整頓されて見通しが良いよな。「迷いながら悩みながら悔やみながら」てそれがライムと呼べるのか。音韻のつながりが意味を超えて言葉同士をつなげていく韻文の根源的な喜びはどこにいったのか。安っぽい物語性/意味性に詩は回収されて良いのか。
 なんか、あまりの叩かれようがあわれだったので、『逆境ナイン』の日の出商業-ガッツ高校戦の観客のような気持ちになり、思わず「言錆の樹」と「マラカイト」を買ってきてしまったわけだが、「雷音」もあわせて発表順に並べてみると、はいはいプログレって感じの壮大な世界観を歌い上げちゃう感じだったりわっかりやすーい反逆メッセージだったりのシンプルな歌詞から、対句法と頭韻を多用しながら単語をただ羅列していく、その羅列された単語の寄せから何かをつかみ出すテクニカルな歌詞へと変貌していく様はかなり明らかに見て取れる。譜割りもどんどん奇形化していく。
 意味性に対する反逆、というか、ある種、多摩のロクデナシ性に安住させられてしまう事からは、意味に頼ってはどうしたって抜け出せない、だから音楽だ、という、その理路はなんかすごくよくわかる、気がする。
 結論。
 どちらが正しいか、をしか巡らなかった『魔法先生ネギま!』超編はくだらなかったね僕は因果性を極力排し時間継起性だけでコマを繋いでいった『ONE PIECE』空島編が大好き。