『スカイ・クロラ』感想つづき。
 吾人はシムーン脳なので、無論『シムーン』のことは連想しました。
 『シムーン』は永遠の少女であることを諦めた少女たちの肖像を描く作品で、対して『スカイ・クロラ』は永遠の少女として生きざるをえないキルドレたちを描いた作品、という対比はそれなりに可能な気がします。
 繰り返しの日々を送るキルドレがいつもおんなじ押井守なのだとすれば、つまりアーネヴィ=押井守、なのであって、アーネヴィがどうなってしまったのかについての物語だったとはまあ一応言える。永遠の少女も辛いのだ。
 とすると、大人の男=ティーチャー=フローフ=西村純二、であって、『BD』以来別れてしまった西村純二への押井守からのメッセージとも『スカイ・クロラ』は読める。
 え、押井守西村純二に勝てないの?
 勝ててない、と思う。押井守はやはり不器用な演出家であって、TVシリーズの雇われ監督を何本もこなすタイプの演出家の持つ器用さにはまったくといっていいほど恵まれていない。押井守がそういうタイプだったら、『スカイ・クロラ』の画面はもっと引きの多い爽快感のあるものに仕上がっていただろう。ちょうど、『シムーン』の空戦シーンのように。
 すたぶ。