乙女はお姉さまに恋してる

 紫苑さんはてっきり男の子なんだと思ったのだけれどそういうわけじゃないのか。つまらん。
 という発想が出てくるのは無論声の寄せと散らしの問題なのでありまして、浅野真澄・たかはし智晶・松本彩乃神田朱未というのはみんな声優サッカー用語に言う右利きな声質なのであって、それに対して堀江由衣松来未祐は左利きであって、その質感はまるで前者のグループとは異なっているわけです。
 堀江由衣のチンコ適性は彼女だけのオリジナルであるのは言うまでもないし、左サイドのスペシャリスト・みゆみゆは決してそんなにほっさんに似た声をしているわけではないのだけれど、それでもこの配図の中では際立って同質的なわけで、そうなると、瑞穂と紫苑だけに共通する要素がなんかあるんじゃないか、とは思えてくるよね。そういう感覚がなくてこのキャスティングなんだったら不安。『D.C.S.S.』のスタッフだしなあ、しかも。なんたって。
 懸案の木村まどかは男の子路線に転向すると良い、と思いました。甲斐田裕子井上麻里奈ミッシングリンクを埋める声質だよね。てことは、もっと声を散らしたアニメのほうが適性があるはず。

 ダイエットと思うから気が重くなるのであって、シェイプアップとかバルクアップと思えばなにということもなく楽しく運動できるのではないか。食餌制限をしないつもりか。
 イヤね、ハンドクリップの効果が出て右前腕が結構いい感じに凧型んなってきたんすよ。うれちい。

金色のコルダ

 新井里美は大変に可愛い。
 吉田玲子の脚本はなんでこんなにもこう、俗情に阿るばかりで世界の広さを感じさせてくれないんだろう。
 生活の全てがバイオリンを中心にまわっていく、ということ、モノとの関わりの中で世界が開けていく感覚とかどうでもよくて、モノなんぞに淫してしまう月森君の歪んだココロを解決されるべき問題として提示するばかりでさ。抑圧的だよなあ。

オタ欲一元論*1を最終的に俺が受け入れ得ないのは、それが結局のところ動機の不純さを衝く事で行為の不当性を証立てようとする態度であって、提唱者のシビアな現実を見つめているという自負とは裏腹に動機の純粋性に拘泥する、極めてナイーブな心性の反映に他ならないからである、と言える。
え?
いや、『働きマン』の向こうに主人公に共感して癒される、松方さんほどには有能じゃ客観的にはないOLさんを幻視してキモがっている自分への戒め。

*1:作品の有り様を読者の下衆な欲望の反映としてのみ理解する態度。オタク的な領域に限らず散見されるが、俺かよくぶつかるのはオタク系でなので、このように呼称しておく。このような議論がくだらないのは、欲望の有り様やその反映形態にある程度以上の捻りを認めない事にはカバーできる範囲が狭まってしまうためで、その捻りは十分に、オッカムの剃刀で切り捨てられるべき程度に複雑になってしまい得るのだからして、作家性や作品性を排除して考える事は結局は単に不合理だという事になるからだ。

 みくる空気話。
http://d.hatena.ne.jp/kazenotori/20061013/1160744335 
http://d.hatena.ne.jp/crow_henmi/20061013#1160747816
 再掲。
http://d.hatena.ne.jp/K_NATSUBA/20060818#1155927298
 単に一巻でキャラクターのポテンシャルをかなり使い切ってしまっただけだと思うのですが。フェイクだってわかっちゃってますからねえ、みんな、キョンのみくるへの賛辞は。それにみくるとキョンの関係は結局まだほぼ一巻終了時点から動いてない、というような事情も勘案しなくていいのかと。
 あとどれくらい巻数重ねる気か知らないけれど、ここからみくるに巻き返させる手はいくらもあって、例えば『消失』p182に「ごめんね。わたし、ちょっと長門さんって今でも苦手で……」なんていい布石が打ってあったりします。『消失』は長門を除くとみんなよいなあ、読み返してみると。